「宗教国家アメリカの誕生」10 ペンシルベニア植民地

 アメリカ大統領選の最終的な結果そのものを左右するともいわれる、ペンシルベニア州。アメリカ合衆国において最も歴史のある州の一つで、1681年に熱心なクェーカー教徒のイギリス貴族ウィリアム・ペンによって建設された。その誕生の経緯はかなり特殊だ。当時のイギリス国王チャールズ2世は、海軍提督だったペンの父に1万6千ポンドという多額の借金を負っていたがペンはこの債権を相続。チャールズ2世と個人的に親しかったペンは、この債権と引き換えに国王から特許状を得て、デラウェア川西方の広大な土地に植民地を開いた。これがペンシルヴェニア(「ペンの森」の意味)で、ペン家を領主とする領主植民地であり、入植者はペン家に地代を支払わなければならなかった。このような封建的な制度の残る植民地であったが、ペン自身は熱心なクェーカー教徒であって、国家による宗教の強制を嫌い、住民への信仰の自由と経済活動の自由を認め、みずから先頭に立って開拓にあたった。彼が建設した州都がフィラデルフィアであり、それは古代ギリシア語で「兄弟愛の町」を意味する(Φιλαδέλφεια、フィロス=愛、アデルフォス=兄弟、ア=都市名につく語尾形)。

 ペンはイギリスばかりでなく、オランダやラインラント地方も訪れて北アメリカへの移住を勧誘し、信仰の自由を保障したうえ、土地の取得の寛大な措置や陪審員制の裁判など、イギリス人と同等の権利や代議制政府の設立を約束した。そのため入植がいったん開始されると、数か月のうちに大勢の移民が押し寄せた。その中にはニュージャージーとの境界を走るデラウェア川流域から移ったオランダ人、スウェーデン人、フィンランド人などに加えて、イングランドやウェールズ、アイルランドからのクェーカー教徒、ラインラントのドイツやスイスからのメノナイト教徒(生まれた時の洗礼ばかりでなく、回心してから洗礼をやり直す再洗礼派)も含まれていた。

 また兵役を拒否する平和主義者のペンの勧めで、メリーランド西部やヴァジニア、ノースカロライナから、タスカローラ族、ショーニー族、マイアミ族といった先住民も移り住むことになる。また、1727年から50年にかけて、現在でも電池以外の電気や自動車を使わずに暮らすアーミッシュの人びとが移住した。

 ペンシルベニア植民地の人口は、1700年までの20年足らずで1万8千人に達した。この人口は、ヴァジニアの場合には達成するのに50年前後かかった水準である。さらに18世紀に入り、フィラデルフィアは交易の要地となり、目覚ましい発展を遂げる。当初は生活基盤は貧弱であったが、ベンジャミン・フランクリンの尽力によって大きく改善されることとなる。1750年代までには、フィラデルフィアはボストンを上回る北米最大の都市となり、イギリスの領土内でもロンドンに次ぐ第二位の都市だった(1835年までにニューヨークがフィラデルフィアを上回ることになる)。このためアメリカ合衆国の独立期には、この地はアメリカ合衆国建国の父とのちに呼ばれる人たちの集う中心地となった。独立戦争時、州議事堂(現独立記念館)で大陸会議や独立宣言の起草が行われた。また1790年に合衆国の首都がニューヨーク市からフィラデルフィアに移ってくると、新都ワシントン特別区の建設が一段落する1800年までの10年間合衆国連邦政府の首都であった。

 ところで日本ではクェーカーはあまりなじみがない。学校では「普連土学園」のみ。しかし、あまり知られていないが先の明仁天皇の家庭教師をつとめたヴァイニング夫人(エリザベス・ヴァイニング)はクェーカーだった。また札幌農学校の教頭(実質的には校長)で「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士もクェーカーだった。この札幌農学校の二期生で在学中にキリスト教に入信した新渡戸稲造は、1883年に東京大学へ進学するがその研究レベルの低さに失望し、1884年、「太平洋のかけ橋」になりたいと私費でアメリカに留学、ジョンズ・ホプキンス大学に入学。伝統的なキリスト教信仰に懐疑的になっていた稲造は、クエーカー派の集会に通い始め会員となった。1900年に『武士道』を出版し、1920年の国際連盟設立に際して、事務次長に選ばれ「国際連盟の輝く星」と賞賛され活躍した新渡戸稲造がクェーカーだったこともほとんど知られていない。

ベンジャミン・ウエスト「レナペ族と条約を結ぶウィリアム・ペン 1682年」

ジーン・レオン・ジェローム・フェリス「1680年ペンシルベニアの誕生」

チャールズ2世とウィリアム・ペン

ウィリアム・ペン

明仁皇太子とバイニング夫人

5000円札 新渡戸稲造

新渡戸稲造と妻メアリー(萬里子)

 正統的なクエーカーであり質素な生活の中で育ったメアリーは、1886年(明治19年)、新渡戸稲造(24才)がボルティモアのジョンズ・ホプキンズ大学の大学院生になっていたときに、フィラデルフィアのクエーカーの集会で彼と出合った

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