「カトリック宗教改革」6 絵画(1)ティツイアーノ「改悛のマグダラのマリア」

 対抗宗教改革、カトリック宗教改革に、はっきりした理論的根拠を与えたのは、トレント公会議である。この宗教会議以後、教会は明確な方針でプロテスタントに対抗していくことになる。それはやがて、17世紀において、カトリック教会の勝利とバロック芸術の隆盛をもたらす結果となった。

 トレント公会議は、教皇パウルス3世(在位:1534―49)時代の1545年からピウス4世(在位:1559―65)時代の1563年まで、断続的に延々18年間にわたって続けられたが、この会議は当初はカトリック・プロテスタント両派の融和を目的としたものだった。しかし、途中からもっぱらカトリック側の「捲き返し」の場となり、最終的に対抗宗教改革、カトリック宗教改革のために強力な武器を提供することとなった。

 その結果、新たに定められた教会の方針は、何よりもプロテスタンティズムの攻勢に対して、できるだけ多くの信者を獲得するという目標に狙いを定めたものであった。明解な教義の解釈を打ち出し、新しい教理問答を制定し、ミサをはじめさまざまな典礼を解りやすい単純なものに改変したのも、いずれも難解な神学的論議を避けて、一般の人々にも容易に理解しやすい教えを説くためであった。教会はいわば大がかりな大衆化路線を基本方針としたと言ってよい。

 特に美術の分野において注目すべきことは、感覚的・享楽的なものを否定し、それ故に聖像をも拒否した禁欲的なプロテスタンティズムとは逆に、教会が美術作品の持つ教化作用を認めて、それを大いに奨励したことである。教会の指導者たちは、絵画や彫刻の持つ宣伝媒体としての有効性を十分に認識し、それを積極的に利用しようとした。

 もちろん、目的がはっきりしているから、美術なら何でもよいというわけではなかった。教会は宣伝のために多くの芸術家たちを動員し、芸術のパトロンとしても重要な役割を果たしたが、同時にその内容については、厳しい注文をつけた。芸術は飽くまでも教会に奉仕するものでなければならなかったからである。

 では、トレント公会議以後、その精神に基づいて求められ、制作された数多くの宗教美術作品の主な特色は何か?ルドルフ・ウィットカウアーは、第一に「明快さ、単純さ、解りやすさ」、第二に「写実的表現」、第三に「情動への訴え」の三点を指摘している。いずれも多くの一般大衆の共感を得るための必須の条件だが、これら三つの特色は、描かれる作品の主題についても言えることである。複雑な神学的論議を必要とするような主題(例えば「三位一体」や「聖体の論議」)は敬遠され、聖書や聖者伝のなかの印象深いエピソード、あるいはドラマティックな迫力に満ちた物語が選ばれた。キリストの受難をはじめ、殉教や奇跡の場面、人びとによく知られた聖者像などがバロックの教会を華やかに飾ったのは、そのためである。

 ところで、ティツィアーノ(1488年頃―1576年)と言えばイタリア盛期ルネサンスのベネチア派を代表する画家とされるが、長命で90歳ごろ(生年が明確でない)まで生きて活躍した。ヴェネツィアの貴族や富裕層に加え、各国の王侯貴族や高位聖職者から数多くの注文を得た画家で,トレント公会議を始めた教皇パウルス3世の肖像画も描いている。その彼が、後半生において最も多く受注した主題は「マグダラのマリア」だと言われる。聖書において「マグダラのマリア」を明示的に名指しした記述によれば、「マグダラのマリア」の人物像とは、イエスに悪霊を取り払ってもらい、イエスの磔に立ち会い、復活したイエスに最初に出会った女性ということになり、そこには「悪女」のイメージは全く見受けられない。しかし、「ルカによる福音書」に登場する「罪深い女」やエルサレム巡礼を経て改心し砂漠の洞窟で一人苦行した「エジプトのマリア」と同一視されることで、「マグダラのマリア」には「遊女あがりの罪深い女」というイメージが定着していく。さらに13世紀に記されたキリスト教の聖人伝集『黄金伝説』では、「マグダラのマリア」は金持ちの娘で、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したとされた。「マグダラのマリア」は、神の世界からどんなにかけ離れた人々でさえも、救いの手に導かれる事を可能にする担い手として選ばれ、カトリックの信者奪回の策としても大いに功を奏したようだ。

ティツィアーノ「改悛のマグダラのマリア」三作品


ティツィアーノ「改悛のマグダラのマリア」1535頃 ピッティ宮殿

 同じティツィアーノ作「改悛のマグダラのマリア」でも、トレント公会議後は、肌の露出が減り、官能性が薄れ、聖書や髑髏(「改悛」のシンボル)が置かれるようになる。

ティツィアーノ「改悛のマグダラのマリア」1565頃 エルミタージュ美術館

ティツィアーノ「改悛のマグダラのマリア」1565 カポディモンテ宮殿

ティツィアーノ「改悛のマグダラのマリア」1575 個人蔵

  涙まで描かれている

ティツィアーノ「教皇パウルス3世」カポディモンテ美術館 ナポリ

0コメント

  • 1000 / 1000