「宗教改革の拡大」4 カルヴァン④『セネカ「寛容論」註解』

 ジャン・カルヴァンには冷酷無残なイメージがつきまとっている。確かに、ジュネーヴでカルヴィニスムの牙城の建設を進めるにあたって、彼が行った司令・号令は峻厳であった。そのため、市民たちの深い憎悪と反感が、カルヴァンの前に立ちはだかった。それを撃破せねばならない立場におかれた彼は、峻厳無比な態度を徹底させなければならなくなる。例えば、次のような行為までも犯罪として告発した。


 ①放浪者に占いをしてもらった事件  ②ダンスをした事件  ③礼拝中に騒いだ事件

 ④25歳の男と結婚しようとした70歳の女性の事件 ⑤カルヴァンを諷した歌を歌った事件


 そもそも「事件」などと呼べるのか、と思うような事柄だが、懸命になっていたカルヴァンには、摘み取らねばならない悪の新芽と見えたのだろう。しかし、カルヴァンの行った粛正行為は、このような笑うべきものだけではなかった。擾乱罪での投獄・破門や謀叛罪での斬首のような過酷な刑罰、断罪も行った。有名なのは「ミシェル・セルヴェ事件」。どういう事件か。

 ミシェル・セルヴェはスペイン生まれの高名な医者で、血液の「肺循環」の発見者であるだけでなく、数学、地理学、天文学、神学に通じたルネサンスの万能人の一人。1531年、弱冠20歳にして、『三位一体の誤謬について』をドイツで出版する。その中で、三位一体(一人の神という本質の内側に父・子・聖霊の三つの存在形式があるという考えで、カトリック、プロテスタント両派共通の絶対に揺るがせない教理)については聖書のどこにも書かれていないと主張し、異端の烙印を押されることになり、安住の地を失う。それでも偽名を使って各地で活躍し、1553年に大著『キリスト教復元』をヴィエンヌで刊行。4月に、異端として火刑の判決を下されるが、巧みに脱獄をはかり姿をくらます。そんな彼が8月になって忽然とジュネーヴに姿を現す。この頃、ジュネーヴではカルヴァン派と反カルヴァン派の政治闘争が紛糾しており、セルヴェは反カルヴァン派と手を組もうとしたのかもしれない。しかしセルヴェは逮捕・投獄され、異端として火刑に処せられた。この決定を下した時の市民総代は全員反カルヴァン派であり、「ミシェル・セルヴェ事件」は単純にカルヴァンの冷酷で暗い側面を示す事件と決めつけることはできない。しかし友人のギョーム・ファレル宛の手紙でカルヴァンは「もし彼が来れば、生きたままかれを去らせることは決してしないでしょう」と明確に述べている。現在、ジュネーヴ市の東部にある小高い丘シャンペルに自然石の碑が立てられている。その正面には、「1511年9月29日生れ、アラゴンのヴィルヌーヴ出身なるミシェル・セルヴェは、シャンペルにて、火刑台上に倒れぬ、時は、1553年10月27日」その背面には、「我が偉大なる改革者カルヴァンを、崇敬しこれに感謝を捧ぐる子たる我らは、師父の世紀の誤謬なりし誤謬を糾弾するとともに、聖福音書と宗教改革との原義に基き信教の自由をば固く遵奉しつつ、ここに贖罪記念碑を建立せり。1903年10月27日」と刻まれている。

 カルヴァンは内外からの批判をかわし、1555年までにジュネーヴで盤石の基盤を築いた。そして、名実ともにジュネーヴの独裁者として、その理想の実現にまい進する。その姿は、血の粛清に血の粛清を重ねたスターリンと軌を一にしているようにすら感じる。しかし、カルヴァンはもともと「不寛容」な人間だったわけではない。1532年『セネカ「寛容論」註解』(1532 年)を出版している。セネカの『寛容論』は,ローマ皇帝ネロの私教師であり,また執政官でもあったセネカが,キリスト教徒に厳しい迫害を行うネロに慈悲深くなるように説いたものであるが,カルヴァンはこれを当時のフランスの現実に応用し,宗教改革に対するフランス国王の厳しい弾圧に対して寛容になるようにとの意図をもって著したのである。この時カルヴァンは、まだ明瞭に、カトリック教を捨てる志こそ持っていなかったが、もはや在来通りのカトリック教内に安穏に落ち着いてはおられない気持ちになっていたようだ。周囲に起こる事件、特に、彼としては同情と共感とを抱けるような人々に対して次から次へと下される迫害が、カルヴァンに、真にキリストの精神を具現する教会の在り方を真剣に考え始めるようにさせ、そのかたわら過酷な迫害を行う権力者に向かっては、「寛容」を求めざるを得ないようにしたのだろう。


「改革の壁」(ジュネーヴ)

 左からギヨーム・ファレル、ジャン・カルヴァン、テオドール・ド・ベーズ、ジョン・ノックス

「ジャン・カルヴァン」 かつてはホルバイン作とされた

 自分のカルヴァンのイメージに最も近い肖像画。多くのカルヴァンの肖像画は、彼の冷酷な側面を強調しすぎているように感じる。

「ミシェル・セルヴェ記念碑」シャンペル(ジュネーヴ)

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