「宗教改革の拡大」3 カルヴァン③「長老制」

 宗教学者エルンスト・トレルチはカルヴァンの思想が世界に普及した原因についてこう述べている。

「カルヴァン派教会が目覚ましい世界的発展をとげた理由・・・は、カルヴァン主義者の理想にある。そしてこの理想ゆえに、カルヴァン主義は、西洋世界の政治経済上の大変動にもうまく適応し、近代の立憲政治に固有な民主主義的原則や、経済の発展を支配する諸原則をわがものとすることができた。ルター派教会との最大の違いはここにある。ルター派は、反民主主義的かつ絶対主義的な国家観に立ち、反抗精神に乏しく、服従を説き、経済問題に関しては伝統的な立場をとり、同業組合組織に立脚した既存の体制を擁護したのである。」(エルンスト・トレルチ「カルヴァン主義とルター主義」1909年)

 マクス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』によって、近代資本主義の誕生とプロテスタンティズムの倫理(予定説と結びついた労働の倫理=世俗内禁欲)を結び付けたことは有名で、今なお影響を与え続けている。資本主義の基本装置である、銀行、手形、複式簿記などがすべてカトリックの牙城であるイタリアで生まれたこと、また予定説が必ずしも勤勉とは結びつかず、単なる怠惰に陥る可能性もあることを指摘して、ウェーバーの議論は成り立たないとする批判もあるが、プロテスタンティズムの倫理が資本主義に対して他の倫理よりは適合的であったということはできるかもしれない。少なくとも、利潤追求を積極的に肯定したカルヴァンの教説が,新興市民階級に受入れられて資本主義精神の根底となったとは言えるだろう。

 では、近代民主主義の形成との関係はどういうことだろうか。これは、カルヴァンがジュネーヴで確立した教会制度に関わる。1541年11月20日、カルヴァンが作成した「ジュネーヴ教会規則」が市民総会で採択される。これによりカルヴァン教会の特徴である、教会統治の四職、すなわち「牧師」・「教師」・「長老」・「執事」が定められた。

「牧師」は説教と聖礼典(洗礼と聖餐式)を受け持つが、カトリックの司祭(「神父」は「司祭」の敬称)とは大きく異なる。司祭はカトリック教会で叙階(カトリックの秘の一つ)を受け、儀式や典礼を執行する。生涯をもっぱら神職に献げるため独身。他方、牧師は神のもとでは一般信徒と変わらず身分において平等とされるため(万人祭司)、妻帯も許される。

「長老」は信者の道徳指導や教会規律の監督をし、無秩序な生活をする者に訓戒する。長老は信者の中から人物と経験で優れた者が選ばれた。カルヴァンは教会組織の上ではカトリック教会の教皇を頂点とした聖職者制度と、ルター派の司教制度を共に認めず、教会員の中から信仰のあつい人物を長老に選んで、牧師を補佐させる長老制を採用した。

また「教師」は聖書の教育に当たり、「執事」は救貧院や病院の運営に当たり、物乞いを取り締まり、病人や貧者の世話をする。

 そして最高決定機関は、長老と牧師からなる「長老会」で、迷信や「教皇派」の書物を取り締まり、自由主義者、瀆神者、酔っ払い、娼婦などを告発し、演劇や奢侈を禁止した。その特権を妬む政治勢力からの反対はあったものの、長老会はやがて破門の決定を下す権利も手に入れる。

 このような「長老制」は、カトリックの「監督制」に対抗して考え出された制度。「監督制が、中世の封建制、王権制を模したものであるのに対して、「長老制」は、「牧師」とその教会の信徒の中から選ばれた「長老」によって治められる制度で議会制民主主義に近い。「牧師」はカトリックで言う司祭にあたる職務だが、その上に立つ司教(司祭を任命する)にあたる階級は「長老制」にはなく、牧師会という民主的な組織があるだけ。「牧師」と「長老」は同じ立場で信徒の教育にあたる。

 このようにカルヴァンは教会権の自律性を確保し、規律ある教会訓練を実施するため独自な教会政治の形態として、平信徒代表も加わる「長老制」を事実上創始した。その代表制の意思決定方法は、やがて政治の局面にも転用され、近代民主主義の形成にも資するところ少なくなかったと評される。

ルターとカルヴァン(ステンドグラス)ヴィースロッホ(ドイツ、バーデンヴュルテンベルク州)のプロテスタントの町教会

カルヴァン 1964年 没後400年記念切手(フランス)

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