「日本の夏」22 「涼を取る」⑤ 「行水」

 涼を取るため、どこへも出かけず自宅でできる手っ取り早い方法が庭での盥(たらい)による行水。裏庭に盥をおき朝から水を溜め陽気の熱で温まった夕方に湯浴みをした。もともとは神社・仏閣などの修行で身を潔斎するための水浴びが起源。その名残りで現在でも修行僧のあいだで行水は修行として行われているわけだが、江戸時代になると夏の季節に大きな盥にぬるま湯を入れて湯浴みすることも「行水」と言うようになった。

             「行水の捨てどころなき虫の声」

 これは江戸前期の俳人で淡泊洒脱を句風とする鬼貫(おにつら)の句。加賀の千代女の「朝顔に釣瓶とられて貰ひ水」と並び風流人の発句として有名だ。しかし、自分のような人間が女性の行水と聞いて思い浮かべるのは、井原西鶴『好色一代男』の1枚の絵。庭で行水をする女性を、屋根の上から遠眼鏡(とおめがね)で覗いている男。これが主人公世之介(よのすけ)。なんと、まだ数え年で9歳。さすが好色一代男!7歳で侍女に戯れかけ、8歳で年上の従姉に恋文を送り、10歳で美少年を口説いた男だけのことはある。

「中居ぐらいの女房『我より外(ほか)には松の声。若(もし)きかば壁に耳、みる人はあらじ』と、流れはすねのあとをも恥じぬ臍(へそ)のあたりの垢かき流し、なおそれよりそこらも糠袋にみだれて、かきわたる湯玉油ぎりてなん」  *「中居」小間使い

では、覗かれた女性の方が詫びるように手を合わせているのはなぜか?実はこの女、盥のなかで行水しているように見えたが、実は自慰行為に耽っていたのだ(南方熊楠説では、糠袋は女性の自慰の道具にもなったらしい)。女は「見なかったことにしてくれ」とたのんでいるのだ。世之介は女に言う。皆に行水のことは黙って言わないから、今夜8時過ぎ、人が寝静まったらくぐり戸をあけておけ、と。

 庭での行水の難点は、外から丸見えなこと。大きな湯音をたてては、人に気付かれて覗かれかねない。人目を気にする嫁などは、出来るだけ静かに湯浴みをする。

           「行水をぽちゃりぽちゃりと嫁遣い」

 しかし警戒心の強い若い嫁などは、周囲へ板戸を立てるか、薄暗い土間でひっそり湯をつかう。

           「行水に寝るほど嫁はかこわせる」

そうかといってあまり大げさにすると姑から嫌みを言われてしまうからやっかいだ。

           「行水にごたいそうなと姑いい」

 心よからぬ男はこんなひがみごと。

           「大師さまばかりへ見せて嫁洗い」

「大師様」とは、柱や戸口に貼り付けた元三大師(「がんざんだいし」のお札。元三大師は、比叡山の高僧で、荒廃していた比叡山諸堂の復興など数多くの功績を上げられたことから比叡山中興の祖とされる良源(りょうげん)。元月(がんげつ)三日(一月三日)に入滅されたことから、「元三大師」の通称で広く親しまれている。おみくじの創始者としても有名だ。

 行水につきものと言えば雷。どちらも夏の夕べにふさわしい情景。江戸小咄をひとつ。――お内儀(かみ)が行水の最中ににわかの雷鳴。そこで丁稚たちが、湯を入れたままの盥をそのまま持ち上げて家の中へ運び込もうとする。そのときお内儀が盥の中にいたか、外に立っていたかははっきりしないが、当然恥ずべきところを両手で隠していた。それを見た丁稚が言う。

「お内儀さん、そこじゃない。隠すのはもっと上の方じゃ」

 ところで、「行水」を描いた浮世絵の多くは「襟洗い」。全裸で盥に入って湯あみをする姿を描いた作品は湯上りの浴衣姿と比べ極端に少ないように思う。粋に対する考え方が反映しているのだろうか。

小村 雪岱「行水」

 小村雪岱(せったい、1887〜1940)は、大正から昭和初期にかけて活動した挿絵画家

鳥居清満「行水」

行水のぞき 『柳樽末摘花余興雪の花』

国貞「江戸名所百人美女の内 御殿山」  襟洗い

豊国「行水」   襟洗い

井原西鶴『好色一代男』

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