「日本の夏」21 「涼を取る」④ 「滝浴み」(3) 北斎『諸国滝廻り』

 葛飾北斎の代表作と言えば「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。「グレートウェーブ」の愛称で今や世界中で愛されている作品だが、北斎は、このダイナミックな波をはじめ、さまざまな水の表情を描いた作品を残している。そのひとつが、『冨嶽三十六景』と並行する形で天保4年に発行された『諸国滝廻り』(現存する絵は8点)。北斎の数多ある名作の中でも、1枚の絵にちりばめられたアイディアの豊かさで群を抜く傑作。いづれの絵も、瀑布を流れ落ちる水のダイナミックな動き、飛び散る水などの多彩な表情を様式的に表現する一方、それを眺める人々を配置することで、自然と人間との対比が強調されている。その中から3点。

①北斎「諸国滝廻り 下野黒髪山きりふりの滝」

 現在、「華厳の滝」、「裏見の滝」とならぶ日光三名瀑の一つに数えられる「霧降の滝」。当時は日光東照宮への途次、参詣人のほとんどがここに立ち寄り、この名瀑を見物して旅の疲れを癒したといわれる。北斎は岩にあたって変化する水の流れをまるで木の根のようにグラフィックに描いた。さらに、滝壺の水しぶき、水面が見事に描き分けられている。

②北斎「諸国滝廻り 木曾路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」

 岐阜県郡上市白鳥町にある瀧で、落差が80メートルにも及ぶ名瀑の一つ。16世紀に白山の僧侶道雅がここの洞窟で祈ったところ阿弥陀如来の姿が現れたところからこの名がついた。徳川時代には、白山詣でのついでに訪れる人が多かったという。瀑布の描き方は、上の川水の部分を含めてかなり様式的であり、川水と滝も一体感が感じられない。白山詣での人たちと思われる瀑布の傍らの地面に蓆を敷いている人々がいかにも気持ちよさそうくつろいでいる。

③北斎「諸国滝廻り 相州大山ろうべんの滝」

この滝は、神奈川県大山山中にある滝で、8世紀の僧侶良弁が大山を開山したことにちなんで名づけられた。大山は、江戸近郊の霊山として、江戸中期以降、大山参りが盛んになった。本図は、その滝で水垢離をとる大山講の人々を描いている。浮世絵にもよく登場し、広重や国芳も描いている。北斎のそれと比較することでそれぞれの特徴を知ることができる。

 ところで「水の動き」への関心と言うと、レオナルド・ダ・ヴィンチのことが思い浮かぶ。手の動き、微笑、鳥の飛翔などレオナルドの興味の多くは「動くもの」に向けられたが、中でも「水の動き」は、ダイナミックで、かつ精妙で、見るにも描くにも、これほど格好の対象はなかったようで、多様な視点から観察、分析を続けた。レオナルドが描く渦巻く水は、植物のツルのようでもあり、カールする髪のようでもある。しかし、レオナルドの水への関心はそれにとどまらない。水によるとてつもないエネルギーの爆発、洪水や嵐の光景を晩年のレオナルドは何枚も描いている。レオナルドの水への愛着とともにその破壊力に対する恐怖心は、彼の全生涯を貫くライトモチーフとなっている。そしてレオナルドの自然観の根底には、恐るべき水の威力についての原体験があったようだということが、次の文章からわかる。

「人間の財産に被害を与えるもろもろの原因の中でも、川はその凶暴で猛烈な氾濫によって、首位の座を占めるように思われる。・・・川は、荒れ狂って逆巻く波を伴って、高い堤防を侵食して崩壊させ、耕地を濁流で洗い流し、家屋を倒壊させ、背の高い樹木を引っこ抜いては、それらを獲物として自分の安息地である海に運び去り、人々や樹木、動物、村々や耕地を流し去り、堤防やその他のあらゆる備えを破壊して、軽いものは運び去り、重いものは破壊して廃物にする。・・・ああ、どんなに多くの都市が、町が、要塞が、村落が、家屋が破壊されたことか!ああ、哀れな耕作者たちのどれほどの苦労が空しく、実りなく終わってしまったことか!ああ、どれほど多くの家族が破滅して、水底の藻屑となったことか!」(レオナルド・ダ・ヴィンチ『アトランティコ手稿』)

北斎 諸国滝廻り

北斎「諸国滝廻り 下野黒髪山きりふりの滝」

北斎「諸国滝廻り 木曾路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」

北斎「諸国滝廻り 相州大山ろうべんの滝」

レオナルド・ダ・ヴィンチ「水の習作」ウィンザー 王室図書館

レオナルド・ダ・ヴィンチ「洪水の習作」ウィンザー 王室図書館

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