「日本の夏」17 「蓮」④ 「不忍池」(3) 五感の刺激

 蓮の花は、咲き始めてから4日目の午前中にすべて散る。咲くのは早朝だ。

     「曉のめをさまさせよはすの花」(乙州[おとくに])

 『江戸名所花暦』の「不忍池」についての記述にこうある。

「花盛りのころは、朝まだきより遊客(ゆうかく)、開花を見んとて賑はふ。実に東雲(しののめ)のころは、匂ひことにかんばしく、また紅白の蓮花(れんげ)、朝日に映ずる光景(ありさま)、たとへんに物なし。」

 *「朝まだき」夜の明けきらないころ  「東雲」夜が明けようとして東の空が明るくなってきたころ

ハスは花姿を楽しむだけでなく、心まで清めてくれるかのようなやさわやかな香気を楽しむ。

  「はちす咲くあたりの風のかほりあひて 心のみづを澄す池かな」(藤原定家)

    「蓮の香やことに三日の朝ぼらけ」(存義) 

     *「朝ぼらけ」夜のほのぼのと明けるころ

 蓮が最も芳香を放つのは、茎二寸伸びた所だそうだ。

     「蓮の香や水をはなるる茎二寸」(蕪村)

 探梅も純粋に香りを楽しむ人々は、新しい着物を纏って夜出かけたようだが、蓮も夕涼みがてらその香りを味わうのもいい。

「夜の闇にひろがる蓮の匂ひ哉」(子規)

 夏目漱石がこんな俳句を残しているが何を詠んだのか?

「ほのぼのと舟押し出すや蓮の中」

 この「舟」は、「蓮見舟」のこと。わざわざ舟を出したのは、花や香りを楽しむ以上に《蓮の開花音》を聞くことが目的だったようだ。

     「暁に音して匂ふ蓮かな」(潮十子)

     「蓮開く音聞く人か朝まだき」(子規)

     「朝風にぱくりぱくりと蓮開く」(子規)

 「花が開くときにはポンっと音がする」と言われ、「開花音を聞けば,悟りが開ける,地獄に堕ちず成仏できる」などと言い伝えられてきた。

 詩や小説にも書かれている。

     「静けき朝音たてて白き蓮花のさくきぬ」(石川啄木)

     「朝ごとに上野の忍ばずの池では、蓮華の蕾が可憐な爆音を立てて花を開いた」

(川端康成の短編集『掌(てのひら)小説』の「帽子事件」)

しかし、実際には蓮の開花音があるわけではないようだ。昭和10年7月23日,牧野富太郎や大賀一郎博士たち十数名が東京不忍池で実地検証を試みた。結果は無音説に軍配。

いずれにせよ、蓮は目、鼻、耳を刺激してくれる。それだけじゃない。舌も楽しませてくれる。「蓮飯」である。新しい蓮の葉に飯を包み、よく蒸して、葉の香りを移したもの(蓮の若葉を蒸して細かく刻み、塩と一緒に混ぜたものを言う場合もある)だが、ハスの葉を開くとパッと葉の香がたつ。身も心も綺麗になりそうな食べ物だ。

「五月にいたれば蓮飯と称して家毎にひさぐ。但し客を待せ置つつ舟に棹さし水中に僅(わずか)に茎立し蓮の巻葉を採刻みて飯に和す。その匂ひ大に格別也。これ此地の一品といふべし。」(大浄敬順『遊歴雑記』)

 注文を受けたら、客を待たせておいて採った蓮の香りは格別だったろう。非日常的なゆったりした時間の流れに身をまかせながら、五感で楽しむ蓮見。しかも「弁天」連れなんてことも。不忍池は出合茶屋のメッカだった。

     「弁天を連れて蓮飯喰ひに行」

 不忍池は江戸時代を通じて、徐々に蓮見を楽しむ非日常的娯楽空間へと変貌していったようだ。

 蓮の花は、咲き始めてから4日目の午前中にすべて散る。咲くのは早朝だ。

     「曉のめをさまさせよはすの花」(乙州[おとくに])

 『江戸名所花暦』の「不忍池」についての記述にこうある。

「花盛りのころは、朝まだきより遊客(ゆうかく)、開花を見んとて賑はふ。実に東雲(しののめ)のころは、匂ひことにかんばしく、また紅白の蓮花(れんげ)、朝日に映ずる光景(ありさま)、たとへんに物なし。」

 *「朝まだき」夜の明けきらないころ  「東雲」夜が明けようとして東の空が明るくなってきたころ

ハスは花姿を楽しむだけでなく、心まで清めてくれるかのようなやさわやかな香気を楽しむ。

「はちす咲くあたりの風のかほりあひて 心のみづを澄す池かな」(藤原定家)

「蓮の香やことに三日の朝ぼらけ」(存義) *「朝ぼらけ」夜のほのぼのと明けるころ

 蓮が最も芳香を放つのは、茎二寸伸びた所だそうだ。

     「蓮の香や水をはなるる茎二寸」(蕪村)

 探梅も純粋に香りを楽しむ人々は、新しい着物を纏って夜出かけたようだが、蓮も夕涼みがてらその香りを味わうのもいい。

「夜の闇にひろがる蓮の匂ひ哉」(子規)

 夏目漱石がこんな俳句を残しているが何を詠んだのか?

「ほのぼのと舟押し出すや蓮の中」

 この「舟」は、「蓮見舟」のこと。わざわざ舟を出したのは、花や香りを楽しむ以上に《蓮の開花音》を聞くことが目的だったようだ。

     「暁に音して匂ふ蓮かな」(潮十子)

     「蓮開く音聞く人か朝まだき」(子規)

     「朝風にぱくりぱくりと蓮開く」(子規)

 「花が開くときにはポンっと音がする」と言われ、「開花音を聞けば,悟りが開ける,地獄に堕ちず成仏できる」などと言い伝えられてきた。

 詩や小説にも書かれている。

     「静けき朝音たてて白き蓮花のさくきぬ」(石川啄木)

     「朝ごとに上野の忍ばずの池では、蓮華の蕾が可憐な爆音を立てて花を開いた」

(川端康成の短編集『掌(てのひら)小説』の「帽子事件」)

しかし、実際には蓮の開花音があるわけではないようだ。昭和10年7月23日,牧野富太郎や大賀一郎博士たち十数名が東京不忍池で実地検証を試みた。結果は無音説に軍配。

いずれにせよ、蓮は目、鼻、耳を刺激してくれる。それだけじゃない。舌も楽しませてくれる。「蓮飯」である。新しい蓮の葉に飯を包み、よく蒸して、葉の香りを移したもの(蓮の若葉を蒸して細かく刻み、塩と一緒に混ぜたものを言う場合もある)だが、ハスの葉を開くとパッと葉の香がたつ。身も心も綺麗になりそうな食べ物だ。

「五月にいたれば蓮飯と称して家毎にひさぐ。但し客を待せ置つつ舟に棹さし水中に僅(わずか)に茎立し蓮の巻葉を採刻みて飯に和す。その匂ひ大に格別也。これ此地の一品といふべし。」(大浄敬順『遊歴雑記』)

 注文を受けたら、客を待たせておいて採った蓮の香りは格別だったろう。非日常的なゆったりした時間の流れに身をまかせながら、五感で楽しむ蓮見。しかも「弁天」連れなんてことも。不忍池は出合茶屋のメッカだった。

      「弁天を連れて蓮飯喰ひに行」

 不忍池は江戸時代を通じて、徐々に蓮見を楽しむ非日常的娯楽空間へと変貌していったようだ。

「江戸名所図会 不忍池 蓮見」

北斎「東都名所一覧 不忍池」

広重「江戸高名会亭尽 下谷広小路」

二代広重「三十六花撰 東京 不忍池蓮花」

豊原国周「三十六花艸の内 蓮花 於七 河原崎国太郎」

 描かれている女性は八百屋お七。初めて心底愛した人にもう一度会いたいがために、 江戸の街に火を放って 火刑に処された少女。彼女が極楽に往生できるとは考え難いから、この絵でお七を囲んでいる蓮の花は、「紅蓮の炎」(蓮の花の形のように激しく燃える炎)を表わしているのだろうか。

藤島武二「不忍池」

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