「レオナルド・ダ・ヴィンチとミラノ公イル・モーロ」10 「イタリア戦争」①
15世紀末から16世紀前半のヨーロッパ史を理解するカギは「イタリア戦争」。「ハプスブルク・ヴァロワ戦争」とも呼ばれるが、それはハプスブルク家(神聖ローマ帝国・スペイン)とヴァロワ家(フランス)がイタリアを巡って繰り広げた戦争だから。その期間については諸説あるが、広義では1494年(フランス王シャルル8世のナポリ遠征)から1559年(カトー・カンブレジ条約締結)まで。そして、この戦争はミラノ公イル・モーロ(ルドヴィコ・スフォルツァ)やレオナルド・ダ・ヴィンチの人生にも大きくかかわっている。
まず戦争開始から見てみよう。1494年、シャルル8世がナポリ遠征をおこなったのはなぜか?当時イタリアは、5大国に分かれていたが、そのひとつナポリ王国(1266年から1435年までフランスのアンジュー家が支配)で国王(スペインのアラゴン家のフェルディナンド1世)が亡くなり王位継承問題が発生。フランス王シャルル8世はローマ教皇アレクサンデル6世に王位継承権の承認を求めたが拒否されたためナポリへ遠征。3万の軍隊を率いてイタリア半島を南下した。実は、シャルル8世のナポリ王国王位継承権主張は口実で、真の狙いは北イタリアの進んだ経済力の獲得。当時フランスは、1453年に「百年戦争」を終え、シャルル7世、ルイ11世の2代の国王の間に中央集権体制を固めつつあったが、産業の発達は遅れていたからだ。
もちろん、ナポリまで進むにはミラノ公国も通過しなければならないが、イル・モーロはフランス軍の通過を積極的に容認する。なぜか?5年前の1489年、若きミラノ公ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァはナポリ王国の公女イザベラ・ダラゴーナと結婚、つまりイル・モーロはナポリ王国と同盟を結んでいたのではなかったか?
イタリアは、五大国家間で1453年に結ばれた「ローディーの和」による勢力均衡政策で40年にわたって平和が保たれていた。しかし1492年、勢力均衡の要だったロレンツォ・ディ・メディチが亡くなり、平和共存体制が崩れる。この時、現状変更して領土拡大を狙ったのが、海洋国家から内陸国家へと変貌しつつあったヴェネツィア共和国。その触手は隣接するミラノ公国へと向けられる。イル・モーロがナポリ王国と同盟を結んだのは、これに対抗するためだった。しかし、ナポリ王国から嫁いできたイザベラは、公妃とは名ばかりで、ミラノ公国の実権をいつまでも手放さないイル・モーロに不満を募らせる。そこで、ナポリ王国の父王に訴える。怒ったナポリ王は、武力でイル・モーロから実権をとりあげようとする。そこでイル・モーロは、フランス王シャルル8世にイタリアの門戸を開いて、自分を脅かすナポリ王国を攻めさせたのだ。シャルル8世は1495年2月にはナポリを占領するが、教皇アレクサンデル6世はフランス王に対抗し、3月に神聖同盟を成立させた。イル・モーロも、今度はそれに加わり、フランス軍の退路を断って、全イタリア連合軍でフランス軍を包囲殲滅しようとする。罠にはめられたことに気づいたフランス王は、ほうほうの体でフランスに逃げ帰り、自分を騙したイル・モーロへの激しい怒りを抱いたまま1498年急死する。
シャルル8世の跡を継いだのは、ルイ12世。その知らせを聞いたイル・モーロは驚愕する。ルイ12世の母親はヴァレンティーナ・ヴィスコンティ。つまり、ルイ12世はイル・モーロの父フランチェスコ・スフォルツァが王位を簒奪したあのヴィスコンティ家の孫なのだ。ルイ12世にとってイル・モーロは宿敵!イル・モーロの恐怖は現実となる。ルイはミラノの統治権を宣言し、ヴェネツィア共和国と教皇はイル・モーロとの具合の悪い同盟を解消し、ミラノ公国を攻撃するフランス王に同調。1499年、ルイ12世はヴェネツィア共和国と密約を結んで、ミラノ公国を挟み撃ちにしようとする。フランス軍はアルプスを越えて、ミラノ公国への侵略を開始。イル・モーロは神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世の庇護を求めてインスブルックへ逃亡。マクシミリアンの皇妃はイル・モーロの姪ビアンカ・マリア・スフォルツァだった(1493年結婚)。
1499年9月17日、ルイ12世麾下のフランス軍はミラノを占領。スフォルツァ城のコルテ・ヴェッキアの中庭に放置されたままのレオナルド作の巨大な「フランチェスコ記念騎馬像」の粘土像は、フランス軍の射手たちの格好の標的にされ破壊されてしまった。
フランス国王シャルル8世(左)とルイ12世(右)
ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ「イザベッラ・ダラゴーナ」ロンドン・ナショナルギャラリー
ナポリ王国の公女でジャン・ガレアッツォ・スフォルツァと結婚
ジョバンニ・アンブロージオ・デ・プレディス「ビアンカ・マリア・スフォルツァ」ワシントン・ナショナルギャラリー
イル・モーロの姪(兄の娘)で神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世と結婚
デューラー「神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世」ウィーン美術史美術館
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