「レオナルド・ダ・ヴィンチとミラノ公イル・モーロ」9「探究者レオナルド」

「鉄は使わなければ錆び、水は淀めば濁り、寒ければ凍るように、知性もまた働かせなければ堕落する」

 レオナルドは、この言葉を金言として日々を生きた。その具体的姿を、彼の解剖学研究の面から見てみよう。レオナルドは、人間の身体をかつてない厳格さと明確さで調べ上げ、記録したが、そこには彼の頑強な精神力が感じられる。当時、解剖学にはタブーと宗教教義上の疑惑が付きまとっていた。教会当局は、解剖学を行きすぎた好奇心と感じていた。人間は神の姿に似せて創造されたものであり、あたかも機械のように部品ごとに分解されるべき対象ではない、ということだ。また、冷蔵技術が存在しない時代の死体解剖には不気味で不快な作業が不可欠だった。レオナルドはその困難さを「ウィンザー手稿」の中でこう記している。

「たとえ君が人体についての知識愛を持っていたとしても、たぶん君は吐き気に妨げられるだろう。たとえ君がそれに妨げられなかったとしても、たぶん君は恐怖に妨げられるだろう。というのは、君は切断されて、皮をむかれた、見るもおぞましい死体と一緒に夜を過ごさなければならないからだ。また、たとえ君がそれに妨げられなかったとしても、たぶん君には素描の才能が欠けているだろう。たとえ君にそれがあったとしても、幾何学的な証明法や、筋肉の力や能力の計算法が欠けているだろう。そして、もし君が勤勉な人間でないなら、たぶん君には忍耐心が欠けているだろう。」

 レオナルドが体系的な方法で解剖を実践したのは、ミラノを去った後の1507年から1508年の冬にいたる「第二フィレンツェ時代」だったが、この時期に彼は、フィレンツェのサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院で、ある老人の死体を手掛かりに直接に解剖学を学ぶ機会に恵まれた。このときの有名なエピソード。

「この老人が死の数時間前に私に告げたのは、100歳を超えているけれども、衰弱以外にはとくに自分の体に病気を感じていないとのことだった。まもなく彼は、フィレンツェのサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院のベッドに座って、何の動きもなく、何かが起きた様子もなく息を引き取ったのだ。そして私は、何がこの穏やかな死の原因なのかを見ようと彼を解剖した。・・・この解剖を私は一生懸命に、そして容易におこなった。なぜならこの老人には体の部分の判明を難しくするような脂肪や体液がなかったからだ」

 第一ミラノ時代の1489年、 当時36歳のレオナルドは、「頭蓋骨」について考察をめぐらせていた。ウィンザー手稿にある3枚の素描に計8点の頭蓋骨の習作が描かれているが、そのうちの1点には比例を示す格子線が引かれ、かたわらに次のような文章が記されている。

「線a-mがc-bと交わるところに、あらゆる感覚の合流点がある」

 レオナルドが特定しようとした「あらゆる感覚の合流点」とは、アリストテレスによって提唱された「共通感覚」、つまり、理性、想像力、知性のありかであり、魂すらも位置する場所。レオナルドは書く。

「魂は、・・・共通感覚と呼ばれるこの器官に宿っていると考えられる。魂は、多くのものが考えてきたように体全体に広がって存在しているのではなく、完全に一つの場所にあるのだ。なぜなら、もし魂が体全体に行きわたり、あらゆる場所に同等に存在するのであれば、複数の間隔を一か所に集中させる器官を設ける必要はないはずだからである。・・・共通感覚は魂の居所なのである。」

 レオナルドの探求心は果てしない。頭蓋骨の習作を描いた紙葉の裏面に、1489年4月2日という日付を入れ、さらに次のような調査すべき主題のリストを記している。

「どの腱が眼の運動を引き起こし、その結果、片方の眼がもう片方の眼を動かすことになるのか。しかめ面をすることについて。眉毛を上下することについて。眼を閉じたり開けたりすることについて。鼻孔をふくらませることについて。歯を閉じたまま唇を開けることについて。唇を突き出すことについて。笑うことについて。驚くことについて・・・」 

 さらに考察の対象は一気に拡大される。

「人間の発生について記述せよ。子宮の内部で何が人間を発生させるのか、なぜ8か月の胎児は生き延びることができないのか、記すこと。くしゃみとはなにか。あくびとはなにか。病気になること 痙攣 麻痺 寒さで震えること 汗をかくこと 空腹 睡眠 喉の渇き 性欲 」

 イル・モーロの宮廷で与えられた仕事をこなしながら、レオナルドはこんなことを研究しようとしていたのだ。

子宮に宿る胎児の解剖図

頭蓋骨の側面図

肩の筋肉の解剖図

レオナルド「自画像」トリノ王宮図書館

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