「マルティン・ルターと宗教改革」15 「ルターと日本」②ルターと親鸞
1549年のザビエル来日以降、多くの宣教師が次々と来日し熱心に布教活動を行ったが、その際、日本の実情について報告をしている。その中に、こんな、驚くべき報告がある。
「彼ら[浄土真宗の仏僧]は、阿弥陀や釈迦が、人々に対していかに大いなる慈愛を示したかを強調し、救済は容易なことであるとし、いかに罪を犯そうとも、阿弥陀や釈迦の名を唱え、その功徳を確信しさえすれば、その罪はことごとく浄められる。従ってその他の贖罪等はなんらする必要がない。・・・これはまさしくルターの説と同じである」(イエズス会巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ『日本巡察記』1583年)
日本の地に、異端のルター派がいる、と言っている。親鸞の創始した浄土真宗のことだ。ヴァリニャーノの目には、阿弥陀仏の功徳を信じ念仏を唱えるだけで救われると説く親鸞と、善行ではなくただ「信仰のみ」と説くルターが同じものに見えたのだ。では、両者の共通点とは何か?
①信仰
親鸞「わが心のよくて殺さぬにはあらず、また害せじと思ふとも、百人、千人を殺すこともあるべし」
ルター「たとえ日に千人ひとを殺しても、どんな罪でも私たちを子羊キリストから引き離すことはできない」
人生には人の力ではどうにもならぬ現実がある、例えばひとを千人殺してしまうような。しかしそれゆえに仏の力、神の力にすべてを託して生きていくのが人間なのだ、という信仰を表現した言葉だ。これほど強烈な言葉で表現しなければならなかった二人の信仰の共通点とは、どのようなものだったか?
第一は生きることのすべてを信仰に集中させていること。親鸞は「唯信」と言い、その唯信が「念仏」という形で表現された。ただ念仏のみ、ただ信のみという。
「・・・煩悩具足の凡夫、火宅無情の世界はよろづのことみなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」
他方ルターは救いに至る道として、カトリックの「信仰と善行」という主張を批判し、「信仰のみ」を自らの標語とした。生きること、救われることに関して、アレヤコレヤでなく、親鸞は「唯信」、ルターは「信仰のみ」と言った。
さらに、信仰そのものが仏から、あるいは神からの一方的な無償の贈与(プレゼント)であるとしているのも両者の共通点。
親鸞「・・・源空(法然)が信心も如来よりたまはりたる信心なり、善信房(親鸞)の信心も如来よりたまはらせたまひたる信心なり」
ルター「信仰とは、私たちのうちにおける神の働きである」
②「悪人正機説」と「信仰義認論」
親鸞とルターにとって、信仰こそが人生のすべてであり、それは「如来よりたまはりたる」もの、「神の働き」によるもの。だから、往生は自力ではなく仏による絶対他力、救いは神による恵み(恩寵)による。ここから親鸞の「悪人正機説」、ルターの「信仰義認論」が成り立つ。
親鸞「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
キリスト「私がきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(「マルコ福音書」2章17節)
親鸞の教えに対して、そうであればむしろあえて悪をなそうという「造悪論」が起こるが、親鸞は薬があるからと言って、あえて毒を口にすべきではない、と答えた。ルターの教えに対しても、善き業(律法)がなくとも、人は神の恵みによって救われるのであれば、もはや善行(律法)など意味はないという「反律法主義」が起こる。それに対してルターは、神の恵み(救い)の果実として善き業はなされると説いた。
二人の共通点は以上のように大きかったが、内村鑑三もこう語っている。
「・・・彼らは絶対的他力を信じた、即ち恩恵の無限の能力を信じた、彼らは全然自己の義を廃して弥陀の無限の慈悲に頼った。・・・親鸞のこの信仰に勝る信仰はあるべからずである、ルーテル(ルター)はこれを聞いてよろこんだであろう、『アーメン、実に然り』と彼は言ったであろう」(「我が信仰の祖先」)
「ザビエル来日記念碑」ザビエル公園 鹿児島市
ルーカス・クラナッハ工房「マルティン・ルター」ウフィツィ美術館
「親鸞」奈良国立博物館
新井芳宗「撰雪六六談 親鸞」
内村鑑三
0コメント