「マルティン・ルターと宗教改革」14 「ルターと日本」①スペインとオランダ
日本にキリスト教が伝わったのは1549年。フランシスコ・ザビエルが来日した時である。以来、約300人の宣教師が日本の地をふみ、最大で60万人の信者がいたと伝えられている。なかには大村純忠(バルトロメオ)、大友宗麟(ドン・フランシスコ)や高山右近(ドン・ジュスト)らのキリシタン大名もいた。しかし、1587年の豊臣秀吉による「バテレン追放令」、さらには1612年および1613年の江戸幕府による全面的禁制(慶弔禁令)により、キリスト教は禁止され弾圧される。有名なのは、「26聖人の殉教」(1597年2月5日豊臣秀吉の命令によって26人のカトリック信者が長崎で磔の刑に処された。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めて)や島原の乱など。さらに幕府はキリスト教を禁止するとともに、植民地化を防ぐために、いわゆる鎖国政策をとった。この外交政策が約260年の江戸時代の平和をもたらすとともに、他方近代化の遅れをもたらした。こうした一連の日本の動向にルターの宗教改革運動は密接に関係している。
まず、日本に初めてキリスト教を伝えたザビエルだが、彼はイエズス会の宣教師。では、イエズス会はどのようにして誕生したのか?ルターらの宗教改革によって登場した新教徒=プロテスタントの運動が強大となったことにローマ教皇側は危機感をいだく。そして、プロテスタントを弾圧するだけでなく、カトリックの教皇庁や教会のあり方を改める運動を起こした。このカトリック改革を「対抗宗教改革」というが、この先頭に立って活動したのがイエズス会である。イエズス会は1534年にスペイン人のイグナティウス・デ・ロヨラとフランシスコ・ザビエルによって創設され、1540年にローマ教皇パウルス3世によって公認された。まずドイツ国内のプロテスタント地域でのカトリックの復興を進め、ついでアメリカ新大陸、アジアなどの新天地での積極的なカトリックの布教活動を行った。ザビエルの日本伝道もその一環だったのである。
ところで、オランダは鎖国時代の日本が唯一交易を行ったヨーロッパのプロテスタント国家。独立したのは1581年という誕生間もない新興国家だった。独立の経緯はこうだ。現在のベルギー、オランダを含むネーデルランドは、中世末期から毛織物業などの産業を発展させたが、16世紀から新教徒(ただし、ルター派ではなくカルヴァン派)が多くなった。それに対してこの地を領有していたスペインがカトリックを強制したことに反発し、1568年から反乱を開始。それは北部7州のスペインのからの独立戦争(「オランダ独立戦争」=「八十年戦争」1568年~1648年)に発展した。戦争は1581年の独立宣言後、1609年にスペインとの講和が成立して実質的な独立を獲得(国際的に独立が承認されたのは、「三十年戦争」の終結に伴う1648年のウェストファリア条約)。
そんなオランダが先に来日し影響力を広めていたスペインを押しのけて鎖国日本の唯一の貿易相手国になりえたのはなぜか?オランダが初めて日本と関係を持ったのは1600年4月。オランダの商船リーフデ号の豊後国臼杵(大分県臼杵市)への漂着に始まる。当時、オランダはスペインからの独立戦争の真最中。オランダに敵愾心を抱いていたスペインのイエズス会士らは、「リーフデ号は海賊船である」と、五大老の一人であった徳川家康に進言。それを受けて、乗組員のオランダ人ヤン・ヨーステンやイギリス人のウィリアム・アダムスらは取り調べを受ける。逆にかれらを気に入った家康はヤン・ヨーステンらを江戸に招き、外交政策の相談役とした。家康は、リーフデ号の積み荷にも着目していた。500丁の火縄銃、5000発の砲弾、5000ポンドの火薬。どれも世界最新鋭の兵器。これらは、半年後の天下分け目の関ヶ原の戦いで活用され、家康の勝利に貢献する。
さらに、家康が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣においても、膠着した戦いに決着をつけたのはオランダ製の最新鋭の大砲「カノン砲」(射程距離500メートル以上)だったと言われる。オランダは、宿敵スペインとの戦いの資金源として日本の豊富な銀(なんと、当時の世界の産出量の3分の1!)に着目。それを手に入れるために、最先端の兵器を家康に売り込んだのだ。スペインも黙ってはいない。キリシタン大名が豊臣方を支援するように画策するとともに、豊臣方に兵器を売りつけた。こうして、日本を舞台にプロテスタント国家オランダとカトリック国家スペインは激しい攻防を繰り広げたのだ。
ヴォルフガング・キリアン「長崎の殉教者(1597年)」
「フランシスコ・ザビエル」神戸市立博物館
「 元和大殉教図」
日本二十六聖人記念碑「昇天のいのり」(記念碑の背後に記念館がある)
高山右近像 カトリック小豆島教会
高山右近
ハウステンボスにて復元展示されているリーフデ号のレプリカ
大坂城炎上 1663年絵図
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