「感染症と人間の物語」13 ルネサンスと感染症(3)「メメント・モリ」②「トランジ」
「メメント・モリ」の思想的背景を考える上で重要なのがtransi(トランジ)。「トランジ」とは、14世紀後半から16世紀にかけて、ヨーロッパの富裕階級の間で流行した「墓の様式」で、日本語では「腐敗屍骸像」と訳される。Transiはtransire(trans「越えて」とire「行く」)というラテン語から派生し、フランス語transirは12世紀から16世紀を通じて「死にゆく」「通り過ぎる」の意味で用いられている。遺書をしたためるときに「死後、OO日くらい経過した(移ろった)姿で刻んでほしい」と願いを残したのだ。このトランジの主な表現形態は、 蛆虫を這わせ、蛇や蛙などを遺骸像のそこここに配置して腐敗している状態をあらわしたり、皮膚がすっかり干からびて、骨にぴたりと張りついていたり、腹腔に内臓をあらわに刻んだりする像である。現在の日本人の感覚からすると、おどろおどろしく感じるが、日本でもかつて「九相図」(くそうず)が描かれた。これは、屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画。名前の通り、死体の変遷を九の場面にわけて描くもので、死後間もないものに始まり、次第に腐っていき血や肉と化し、獣や鳥に食い荒らされ、九つ目にはばらばらの白骨ないし埋葬された様子が描かれる。
死体を九段階に分けて観想することを特に九相観と呼ぶが、この際イメージの助けとして用いられた図像が九相図。九相観とは、現実の死体を繰り返し凝視し、現在ある肉体が不浄であることへの理解を深め、己の淫欲を滅するための修行であり、九相図はその手引きとなる。つまり、僧侶の、修行の道具として主に用いられた。
では「トランジ」はどのような目的で制作されたのか。 キリスト教では、肉体の腐敗は罪の証とされた(イタリア各地で目にする聖人の「不朽体」[遺体]は、死後数百年経っているにもかかわらず腐敗していないとされる。カトリック教会によれば、それは彼らの神聖さの証として神の御業によって死後も腐敗しないからだという。)。しかし、罪の証は、また告解の証ともなった。すなわち、無残な死に姿であればあるほど故人は生前罪を犯したのであり、それを半永久的な石の像として刻ませることは、罪を半永久的に告白していることになる。そしてカトリックの教えでは、告解すれば罪は軽くなる。しかも、無残な墓像を前に哀れんで祈ってくれる人が多いほど故人の罪はさらに軽くなるし、祈る人自身の罪も減少する。
このように、特異な墓碑彫刻である「トランジ」には、腐敗する死者自身の姿を曝すことにより、己の罪深さを告白し改悛と謙遜の姿勢を表明し、生者にとりなしの祈りを求めるという死者自身の救霊のための戦略があったと考えられている。生者による死者への祈りこそが、死者の魂の救済を約束するのだ。他方、その見返りとして死者は生者の罪が軽減されるようにとりなしてくれるものと、人々は考えて祈ったのである。このような緊密な祈りのシステムによって、死者と生者は助け合い、共存していたのだ。
このような生者と死者の死の共有の仕組みは、現代の死の問題を考える際にも多くの示唆を与えてくれる。
穏やかな死は多くの人間にとっての願いだろう。そして、それが自己の意思に基づく生の充実によってもたらされることも否定されえない。しかしそれでも「死んだらいったいどうなるのか」という疑問は恐怖とともに残る。
さらに、遺される者の問題もある。死別の悲しみに耐えるためには、生前の物語だけでは多くの場合不足である。「天国にいる」「死んだらまた会える」「いつも見守ってくれている」などの「物語」は、すべて死後存在の想定の上にしか成り立たない。そしてこれらの物語こそは、常に死にゆく者と遺される者とを強く支えてきたものなのである。死は備ええない恐怖であり喪失であるからこそ、人は死を飼いならすべく、様々な死の物語と儀礼を必要とした。人間は死の瞬間の後にまで続く物語を、他の人々と共有することを必要としてきたのである。死をめぐる物語とその共有が人間の生を支える上で不可欠なものであるという理解が、今日軽視され、失われつつあるが、今回のコロナ危機(感染による自分自身の死への直面とともに突然の愛する者との別れの体験)はこの状況に変化をもたらすだろうか。
「ギヨーム・レフランソワ・アラスの墓 1446年」
「スイス、ヴォーのラ・サラスにあるサントアントワーヌ礼拝堂にある墓 1363年」
フランソワ・デ・サラのトランシ。彼の体はカエルやワームにかじられている
「ドイツのインゴルシュタットにあるトランジ 1505年」
「ヨハネス・ゲマイナー(1482没)の 墓石のトランジ」ザンクト・ヤコブ聖堂、シュ トラウビング
「ベルギーのブッスにある墓 16世紀」
「ルネ・ド・シャロンのトランジ 1547年」サンテティエンヌ聖堂 バル・ル・デュック フランス
ルネ・ド・シャロンはオランダ総督ヘンドリック3世の息子。「トランジ」の大半は横臥像だが、これは珍しい立像。左手に掲げているのは、自分の心臓。
「九相図」 狩野派の英一蝶作とされ小野小町を描く 第五相~第七相
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