「感染症と人間の物語」8 14世紀黒死病パンデミックと人間(4)ペストの守護聖人②聖ロック
ナポレオンのデビュー戦は1793年の「トゥーロン攻囲戦」だが、かれが出世街道を走りだした最初は1795年10月5 日に発生した「ヴァンデミエールの反乱」(王党派の暴動)の鎮圧。ナポレオンは、広範囲に被害が及ぶ大砲(散弾)を大胆にも首都の市街地で使ってあっさりやってのけた。10月25日、国民公会によってナポレオンは国内軍の総司令官に任命され、翌1794年2月にはイタリア方面軍司令官にまで昇進した。ところで、この反乱時、王党派が立て籠もっていた場所はどこか?パリの中心街サントノレ通りの「サン・ロック教会」である。ここには多くの著名人が埋葬(例えば、17世紀の劇作家コルネイユ、ヴェルサイユ宮殿の庭園などを設計しフランス式庭園の様式を完成させた造園家アンドレ・ル・ノートル)、イブ・サンローランの葬儀が行われたところとしても有名である。
サン・ロックは聖人ロックのことだが、ペストの守護聖人として古くからヨーロッパで崇敬の対象となってきた。ラテン語:Rochus(ロクス)、イタリア語:Rocco(ロッコ)、フランス語・英語:Roch(ロック)、スペイン語:Roque(ロッケ)。13世紀の聖人伝「レゲンダ・アウレア」(LEGENDA AUREA)はこう記す。フランス南部、地中海に面したモンペリエの貴族の家に生まれる。両親が亡くなると、ロックはその資産をすべて貧者に施し、物乞いをしながらローマを目指して巡礼に旅立つ。途中、ペストが流行り患者を看病し、やっと到着したローマもペストのために荒廃しきっていたため、3年間留まって患者の手当てを続けた。ローマを出てフランスに向うが、ペストは北イタリアでも流行。ロックはふたたび町々で治療に励むが、ピアチェンツァにおいてついに自身が感染してしまう。患者となり、町を追われて森に入ったロックは葉のついた枝を組み合わせた小屋で死を待つ。しかし彼の飲み水のために奇跡的に泉が湧き出し、また日々のパンを犬がくわえて運んで来て聖人の体にできた傷口を舐めて癒したので、ロックは死を免れて健康を取り戻した。回復後、ロックは祖国に戻り故郷モンペリエに到着したが、こじき姿のゆえに誰も聖人を見分けることができず、スパイと間違われて投獄され、5年後の1327年8月16日獄中で亡くなったとされる。
14世紀、聖ロックの信仰はモンペリエ及び聖人が旅したイタリアの地域においてすでに広まっていたが、1414年にコンスタンツでペストが流行したときに聖ロックの宗教行列が行われ、このとき以降ヨーロッパ中に広まる。特に聖ロック(サン・ロッコ)が市民の尊崇を集めていたヴェネツィアは、なんと1485年にモンペリエから聖遺物を盗み出すことまでやる。ただ、これは驚くに当たらない。そもそも、ヴェネチアはどうやって聖マルコを守護聖人にしたか?828年、アレクサンドリアから盗み出したのだ。その意味は実に大きかった。それまでヴェネツィアの守護聖人は、ヴェネツィアのビザンティン帝国への従属をあらわすようのギリシア人聖テオドロスだった。
「その時いらいヴェネツィアは、ほどなく着工されたバジリカ会堂とともに、確固たる心=確信をもつことになる。言い換えれば、力と情熱をもって、誇りと自信をもって自分自身であり続けるよりどころをひとつふやしたのである。」(フェルナン・ブローデル『都市ヴェネツィア 歴史紀行』)
1478年に裕福なヴェネツィア市民の間で結成された信心会「ラ・スクオーラ・ディ・サン・ロッコ」 (La Scuola di San Rocco) はこの聖遺物を納めるために「スクオーラ・グランデ」 (Scuola Grande di San Rocco) と、それに隣接する「サン・ロッコ教会」 (La Chiesa di San Rocco) を建てる。そして「スクオーラ・グランデ」の装飾はティントレットが担当し、ティントレットと弟子たちによって、1564年から 1588年にかけて多数の作品が描かれた。そこにはティントレットの代表的宗教画があふれている。個人的には、これを見るためだけにでもヴェネツィアを訪れる価値は十分にあると思っている。
ところで、図像における聖ロックは巡礼者の姿で表現される。つば広の帽子とマント、巡礼者の徴である貝殻を身に着け、ずた袋と水入れのひょうたんを下げた巡礼杖を手に持っている。一見すると、サン・ジャック(聖大ヤコブ)と見間違えそうだが、聖ロックは「パンをくわえた犬」を連れ、「太ももにできた腺ペストの傷を露出」しているのが特徴。
ティントレット「イエスの磔刑」スクオラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ ヴェネツィア
サン・ロック教会 パリ
ヴァンデミエールの反乱 1795年 サントノレ通りのサン=ロック教会界隈
バルトロメオ・ヴィヴァリーニ「サン・ロッコと天使」 サンテウフェミーア教会 ヴェネツィア
カルロ・クリヴェッリ「サン・ロッコ」ウォレスコレクション
ホセ・デ・リベラ「聖ロッケ」プラド美術館
ルイ・ダヴィッド「聖母マリアにペストの犠牲者を癒やすことを祈願する聖ロック」マルセイユ美術館
聖ロック像 聖ロック教会 パリ
サン・ロッコ大信徒会とサン・ロッコ教会 ヴェネツィア
スクオラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ 大広間
ティントレット「イエスの磔刑」スクオラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ ヴェネツィア
カナレット「サン・ロッコの祝祭」ロンドン ナショナルギャラリー 1576年のペストの終焉を祝い、毎年8月16日に行われた聖ロッコの祝祭
「聖マルコの遺体の運搬」ヴェネツィア サン・マルコ寺院ファサード
イスラム教徒の嫌う豚肉で遺体をおおって盗み出した
アンドレア・ダ・ムラーノ「多翼祭壇画」アカデミア美術館 ヴェネツィア
聖セバスティアヌス(サン・セバスチャン)と一緒に描かれることも多い
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