「感染症と人間の物語」1 1348年フィレンツェ(1)ボッカチオ『デカメロン』①

 人類の命を最も奪ってきたのは戦争でも自然災害でもない。ウィルスや細菌による感染爆発(パンデミック)だ。歴史上、最も名高いパンデミックとは、おそらく1347年から1351年にかけてヨーロッパで流行し、ヨーロッパの人口の3分の1が死に絶えたと言われる「黒死病(Black Death)」。死者数1億人とも言われる。まず、同時代の証言をボッカチオ『デカメロン』の記述から見てみよう。

「1348年のこと、イタリア中でも最も美しい町、フィレンツェに恐ろしい悪疫(ペスト)が流行しました。どんな予防法も信心も役に立たず、治療法もなく、人々は次から次へと感染して死んでゆきました。この病気にかかると体の各部分に黒い斑点ができ、それはすなわち、死の兆候でした。死人は町にあふれ、悪臭は町に満ち満ちる有り様、どこもかしこも死人か、もしくはもうすぐ死ぬ病人ばかり、坊さんに葬式をしてもらえるものは稀で、柩も追いつかず、死体は板に乗せて運ばれ、どこでも空いた墓穴に投げ込まれました。恐怖と自暴自棄が、人々の心から人間らしさを奪いました。もはや人々は、身内であれ友人であれ、病気にかかった人を看護しようとせず、逃げ出したり、打ち捨てたりしたのです。

 郊外では、穀物の刈り入れも行われず、家畜は勝手にうろつきまわっていました。

 町の中では、壮大な宮殿、立派なお邸(やしき)も無人になってしまいました。生き残っている市民の、ある者は無頼漢のように他人の家へ押し入り、掠奪したりし、ある者はほしいままに快楽にふけって、それによって不安を忘れようとしました。男も女も、つつしみを忘れ、道徳も、神を信ずる心も失って、その日その日を悪夢のように過ごしていました。

 そしてそれら、すべての上に、ペストの嵐は吹き荒れていたのです。」

 この記述について二点補足したい。

(1)「恐怖と自暴自棄が、人々の心から人間らしさを奪いました」

 ジャック・リュフィエ、ジャン=シャルル・スールニア「ペストからエイズまで-人間史における疫病」(国文社)により具体的にこう書かれている。

「多くのひとが誰にも看取られずに死に,非常に多くの人々が飢えた。つまり,もし誰かが病床についてしまうと,家族の者は恐怖にかられて,家の中の病人に向かって『医者を呼んで来る』と言って,そっと道路側の戸口のドアから出て行き,二度と戻ってはこなかった。こうして病人は先ず家族から裏切られ,次いで食糧からも断ち切られた。さらに熱が出て来ると,状態はもっと悪くなった。夜毎に,多くの病人が近親者に見捨てないでくれと訴えた。すると近親者は,『自分でパンとワインと水を食べなさい。そうすれば世話してくれる者を夜中にそのつど起こさずにすむ。そして昼夜わかたずその人の世話にならずにすむ。これらの品をベッドの枕元の椅子の上に置いておくから,自分で何とかしなさい』。病人が眠り込むと,近親者は出て行き,戻ってはこなかった」

 たとえ生き残ったとしても、近親者にこのような態度をとらざるをえなかった人々に、大きなトラウマとして刻みつけられたのは間違いない。

(2)「道徳も、神を信ずる心も失って、その日その日を悪夢のように過ごしていました」

 自分の大切な人が目の前で次々に死んでゆく。明日はわが身の恐怖。ペストを「神の罰」と受け止めた当時の人々の対処法は、神に祈るしかない。しかし、いくら祈っても状況は変わらない。多くのものは「終油の秘跡」すら受けられない。これは恐怖だ。死後天国に入る可能性がシャットアウトされるから。司祭たちの多くが感染し亡くなってしまった。地域の教会で働く司祭たちは,病人が臨終のときに,そこに立ち会って最期の告白を聞き,彼らの生涯に犯した罪を軽減するという役割があったが(「終油の秘跡」。カトリック教会の7つの秘跡のうちの一つで、現在では「病人の塗油」という。罪のゆるしと,可能なら病気の治癒を祈る。),ペストが流行し始めると,患者から告白を聞くうちに感染して,真っ先に倒れてしまった。

「司祭たちの多くは良心的にみずからの責務を果たした。そしてペスト患者に恐れることなく臨終の秘跡を与えた。そのあとで司祭たちは,経験がそれを教えたのだが,多少の早い遅いはあるものの自分も間もなく死ぬだろうと予感していた。シモン・ド・ クヴァン Simon de Couvin はアヴィニヨンの教区聖職者の勇気を次のように記している。『荒れ狂う疫病は,聖なる魂の救済者すなわち司祭たちが病人に恵みの賜物を与えようとするまさにその瞬間に彼らを不意打ちした。突然司祭たちは死に見舞われた。ときどき,当の病人より早く,病人の身体に触れたか,ペスト患者の息を吸ったかした,というだけで』」(クラウス・ベルクドルト『ヨーロッパの黒死病―大ペストと中世ヨーロッパの終焉』国文社)

1348年にフィレンツェで黒死病が流行したときの様子 ボッカチオ『デカメロン』挿絵

ミヒャエル・ヴォルゲムート 『死の舞踏』1493年、版画

ハンス・ホルバイン『死の舞踏』1538年版画 国王の許に死の擬人化である骸骨が訪れている

アンドレア・デル・カスターニョ「ジョヴァンニ・ボッカチオ」ウフィツィ美術館

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