「万の心を持つ男」シェイクスピア1『ハムレット』①亡霊との対面

ヨハン・ハインリヒ・フュースリー「ハムレットと父の亡霊」 ハムレットの父デンマーク王が亡くなった。果樹園で眠っているところを毒蛇に噛まれたことになっている。当時ハムレットはウィッテンバーグ大学(ドイツ東部のヴィッテンベルクに1502年創設された大学。マルティン・ルターは、ここで聖書を講義していた1517年、贖宥状[教皇庁が発行する罪軽減の証書]販売への疑義を記した「九十五か条」を城内に掲示、宗教改革の口火を切った。まさにプロテスタントの総本山)に留学。父の死を知り、急ぎ帰国したハムレットは、叔父のクロ―ディアスが、先代王の葬儀から日も浅いというのに、先代王の妃であり王子の母であるガートルードを妃として王位に就いたのが許せず、悶々としていた。

(ハムレットの第一独白)

「ああ、この固い、あまりに固い肉体が、溶けて崩れ、露と流れてくれぬものか。せめて永遠の神の掟が、自殺を禁じたもうことがなければ。ああ、神よ!神よ!この世のありとあらゆるものが、この俺になんと疎ましく、腐った、つまらぬ、くだらないものに見えることか!許せん、ああ、許せない。この世は、荒れ果てて雑草ばかり生い茂った庭。けがらわしいものだけがはびこって悪臭を放つ。こんなことになろうとは!亡くなってわずか二月で――いや、二月さえ経っていない。――立派な王だった。今の王は獣のような奴だが、太陽の神のような人だった、あんなに母上を愛し、天から訪れる風が母上の顔に強く当たるのさえ許さぬほどだったのに。なんということだ、忘れることはできぬのか。母上にしても、ああ、父上の愛をむさぼるように受けて、しがみついていたではないか。それが、ひと月足らずで――考えたくない。――弱き者、汝の名は女――・・・神よ、理性がない獣でさえ、もっと長く嘆くはずだ――それが、叔父と、父上の弟と、結婚した。父上とは大違いの男だ。・・・嘘の涙で泣きはらした目も、まだ赤く腫れているというのに――結婚した――ああ、邪悪な速さだ!いそいそと近親相姦の床へ急ぐとは!」

 そんな時、ウィッテンバーグ大学での学友ホレイシオと衛兵から、亡霊のことを知らされた王子は、その夜自分も城壁の見張りに発つ。亡霊があらわれハムレットだけに伝えたいことがあるかのように手招きする。そして二人きりになったところで、殺人の真相が語られる。

「いつもの午後の習慣どおり、宮廷の果樹園で眠っていると、その隙に、そなたの叔父が、呪わしき毒ヘボナの小瓶を手に忍び寄り、わが耳に、癩病の様に肉を爛れさせる毒薬を注ぎ込んだのだ。その薬は、人間の血とは相容れず、血と混じると、水銀の速さで体中ありとあらゆるところを駆け巡り、ミルクに垂らした酸のように、忽ち、健やかに澄んだ血液を固めてしまう。わが血もそうなったのだ。なめらかだった肌と言う肌が、瞬時にして、樹皮と見まごうおぞましくも忌まわしい瘡蓋で覆われた。こうしてわしは、眠りのうちに、弟の手によって命も、王冠も、妃も、一遍に奪われたのだ。終油の秘蹟も、懺悔の暇もなく、突然に俗世の罪咲き誇る中、命を断ち切られ、赦しも受けず、この身に罪を負ったまま神の裁きの庭に引き出されたのだ。ああ、むごい!むごい!なんという非道だ!そなたに人の情があるなら、これを許すな。デンマーク王室の臥所を、情欲と忌まわしき近親相姦で穢させてはならぬ。しかし、どのように事にあたろうとも、そなたの心を穢すな。母に危害を加えてはならぬ。母のことは天に委ねるのだ。」

 しかし、ハムレットはすぐには復讐を実行に移さない。それはハムレットが「優柔不断で虚弱な哲学青年」だったからではない。

「俺が見た亡霊は悪魔かもしれぬ。悪魔は相手の好む姿に身をやつして現れる。そうとも、ひょっとして俺が憂鬱になり、気弱になっているのにつけこんでまんまと俺をたぶらかし、地獄に追い落とそうという魂胆か。もっと確かな証拠が欲しい。それには芝居だ。芝居を打って、王の本心をつかまえてみせる。」

ヨハン・ハインリヒ・フュースリー「ハムレットと父の亡霊」

ドラクロワ「父の亡霊について行こうとするハムレット」メトロポリタン美術館

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