ジョゼフィーヌという生き方10 「勝利の聖母」

 こんなに女房のことが気になるようでは、戦争どころではあるまいと思われるのだが、ナポレオンは仕事の方もバリバリこなしていた。ナポレオンが赴任してからのイタリア方面軍は、負け知らずの連戦連勝。「ローディの戦い」(5月10日)では、ボロ服のフランス軍がヨーロッパ最高の軍隊オーストリア軍を敗走させ、北イタリアの中心都市ミラノへの道が開かれる。ナポレオンは睡眠時間を削って仕事に没頭していたが、それでも、どんな激しい戦闘があった日でも、どんなに仕事が忙しい日でも、ジョゼフィーヌに手紙を書かない日は一日もなかった。恋の炎が士気を高め、勝利の高揚がさらに恋の炎をかきたてていったようだ。

 ではジョゼフィーヌの方はどうだったか?新婚早々、夫婦が離れ離れになって泣いたのはナポレオンで、ジョゼフィーヌはまるで違った。ナポレオンは、飛んでくる砲弾も、しなだれかかるイタリア美女(5月15日に入城したミラノでは、人々はフランス軍をオーストリアの圧政からの解放者として迎え、歓迎の宴を開いた。宴会には、ミラノの美女数百人も参加し、なんとかして最高司令官の気を引こうとした。)も、いっさい意に介さず、ひたすら愛しい妻にあてて手紙を書きつづけた。しかし、毎日のように届く手紙にジョゼフィーヌは驚き、そのうちうんざり。友人たちに回し読みさせたり、封も切らずに打ち捨てておくようになる。返事もほとんど書かない。

「あなたからの、愛しいあなたからの手紙が来ない!いとしのきみからの手紙がないことくらい、わたしの激しい苦しみはないことを、いとしいあなたは忘れてしまったのか、それとも知らないのか?・・・・盛大な祝宴を私のために開いてくれた。五、六百人もの魅力的な美女が私のご機嫌を取ろうとした。でも、あなたのような女性は一人もいなかった。心にしっかりと焼きついている、あんなにも甘く、あんなにも調和のとれた姿をした女性は、一人もいなかった。私の念頭にはあなたの姿しかなかったし、あなたのことしか考えられなかった。」(5月23日)

 夫がイタリアで次々に勝利をおさめていることは、もちろんジョゼフィーヌにとって気持ちのいいものだった。人々は、ナポレオンが夫人を熱烈に愛していることを知っていた。将軍を勝利へ、栄光へとかきたてているのは、夫人への愛。イタリアからの新しい勝利の知らせが伝えられるたびごとに、ジョゼフィーヌの星は輝きを増し、人々にちやほやされ「勝利の聖母」と呼ばれるようになる。しかし、ジョゼフィーヌにとっては、イタリアの戦場での出来事など、はるか彼方での事件に過ぎない。ナポレオンからの情熱的な手紙も、気持ちをくすぐりはしたがただそれだけのこと。そんなことより、今晩どのドレスを着て夜会へ行くか、どのアクセサリーをつけるか、ということのほうがはるかに大事だった。そばにいて笑わせてくれる男、楽しませてくれる男、まめに世話を焼いてくれる男の方がよかった。早くイタリアに来い、というナポレオンの呼びかけはますます調子の強いものになってきたが、ジョゼフィーヌにはイタリアへ行く気など全くない。「体の具合が悪い」とか、「病気になった」とか、いろいろ口実を作るが、ついには「子供ができた」とまで言う。ナポレオンは有頂天になるが、妊娠したという妻の健康も気がかり。

「君の手紙は短く、悲しげで、筆跡が震えている。素晴らしき友よ、どうしたのだ?何か心配事があるのか?ああ!田舎にとどまっていてはいけない。町にいなさい。楽しむようにしなさい。君が苦しんだり、悲しんだりしていると考えることほど、僕を苦しめるものはないのだ。これまで僕は嫉妬深かったと思うが、もうそんなことはないと誓って言う。君がふさぎ込んでいるのを知るよりは、むしろ、僕自身で君に愛人を世話してあげたいくらいだ。」(5月13日)

 しかし、その必要はなかった。ジョゼフィーヌにはすでに愛人がいたから。9歳年下(23歳)の陸軍中尉イポリット・シャルル。ジョゼフィーヌの好みにぴったりの、優雅でたくましい美青年だった。ナポレオンがイタリアに発って一か月ほどして知り合い、ジョゼフィーヌは夢中になる。

ダヴィッド「レカミエ夫人」ルーヴル美術館  ジョゼフィーヌの親友レカミエ夫人

フランソワ・ジェラール「レカミエ夫人」カルナヴァレ博物館

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