ジョゼフィーヌという生き方9 結婚

 ナポレオンはジョゼフィーヌに結婚を申し込む。ジョゼフィーヌはなかなかいい返事をしない。ナポレオンには、ジョゼフィーヌの気に入るものは何もなかったからだ。美男でもないし、たくましい体をしているわけでもない。軍服を見事に着こなした、格好のいい軍人というわけでもない。「やせた小男」。何か面白いことを言って笑わせてくれるわけでもないし、財産があるわけでもない。しかし、ジョゼフィーヌの境遇はいかにも不安定。年齢ももう32歳。当時の独身女性にとってほとんど絶望的な年齢。二人の子ども。増え続ける借金。国内軍司令官に任ぜられ、中将に昇進したナポレオンを夫に迎え、生活を安定させるのも悪い話ではない。結局、ジョゼフィーヌはナポレオンの求婚を受け容れる。友人あての手紙でその心境をこう語っている。

「『彼を愛しているの』とあなたはお尋ねになるでしょう。いいえ、愛してはおりません。『それでは、彼が嫌いなのですか』—―いいえ、嫌いではありません。私はぬるま湯のような状態にあり、こうした状態は私も好きではありません。・・・・彼がエネルギッシュに語る力強い情熱は私の気に入っているものですし、彼の口ぶりからすると誠実さを疑うことはできません。この力強い情熱こそが、私が結婚に同意した理由なのです」

 1796年3月9日、ジョゼフィーヌはナポレオンと結婚式を挙げる。場所は、パリ区役所。立会人は、ジョゼフィーヌの元愛人バラスと、テレジアの夫タリアン。ナポレオンが2時間遅刻したため、しびれを切らして帰ってしまった区長に代わって、何の権限もない一介の役人コラン・ラコンブによって執り行われた式は5分で終わった。口調代理がきまり文句の誓いの言葉を心労と神父に復唱させただけ。フランス革命勃発後、キリスト教は迷信として攻撃され、教会での結婚式はなくなっていた。ナポレオンが記した生年月日も、ジョゼフィーヌの生年月日も本人のものではなかった。ナポレオンは実際の歳より老けて見せたいために兄の生年月日を、そして、ジョゼフィーヌは若く見せたいために、4歳年下のすでに世を去っていた妹の生年月日を記入した。

 結婚式からわずか二日後、新郎ナポレオンはジョゼフィーヌの元愛人バラスから結婚祝いとして授かったイタリア方面軍最高司令官として旅立つ。いつかこの自分の手で必ず天下を取るのだという野望にかられていたナポレオンは、ニースで軍隊と合流すると、兵士たちにこんな演説をして指揮を奮い立たせる。

「兵士諸君、諸君はまともな軍服もなければ、ろくな食糧も与えられていない。政府は諸君に大いに借りがあるというのに、諸君に何の報酬も与えることができないでいる。すべての窮乏に耐えられる諸君の辛抱強さも、すべての危険をものともせず戦う諸君の勇気も、フランス国民の賞讃の的となっているというのに、その諸君は靴もなく、服もなく、パンすらない状態ではないか。それなのに、諸君の敵はすべて満ちあふれ、豊かだ。その敵の豊かな富を手にするのは、ひとえに、諸君にかかっているのだ。諸君ならそれができるはずだ。前進しようではないか!」

 しかし、愛しの妻ジョゼフィーヌから引き離されたことはつらくてたまらない。毎日のように妻に宛てて手紙を書く。一日に何通も書くこともある。

「僕は、君を愛さずしては、一日たりとも過ごしたことはない。君を腕に抱きしめずしては、一夜たりとも過ごしたことはない。僕の人生の魂から僕を遠ざける、栄光と野心を呪わずしては、一杯の紅茶たりとも飲んだことはない。仕事の最中、舞台の先頭に立って野営地を馬で駆けまわっている時でも、僕の素晴らしいジョゼフィーヌだけが心の中にあり、精神を占め、考えを吸収してしまう。」(1796年3月30日)

「ジョゼフィーヌ、君から離れていては、楽しいことは何もない。君から離れていては、この世は砂漠であり、ひとりぼっちの僕には、思いのたけを打ち明ける慰めもない。君は僕から魂上のものを奪った。毎日毎日、考えることといえば、君のことだけだ。」(1796年4月3日)

イタリア方面軍司令官ナポレオン

ジュゼッペ・ロンギ「ナポレオン」1795年

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