ジョゼフィーヌという生き方11 「コキュ」(寝取られ男)ナポレオン

 手紙の返事もよこさない、イタリアへ来ようともしないジョゼフィーヌにしびれを切らしたナポレオンは、自分がパリに戻ると言い出す。これにあわてたのが総裁政府。まだイタリア問題はかたづいていない。かなりオーストリアを痛めつけたとはいえ、有利な条件で和平交渉に持っていけるほどではない。オーストリアがいつ軍を整え反撃してくるかもわからない不安定な状況の中で、ナポレオンに持ち場を離れられては、イタリア戦線はガタガタになってしまう。怒った総裁政府は、ジョゼフィーヌの説得にかかる。妊娠だ、病気だと偽って、イタリア行きを拒み、実際には健康そのもので、夜ごと着飾っては、オペラだ、舞踏会だと遊び歩くジョゼフィーヌに、ついに政府の命令が下った。これにはさすがのジョゼフィーヌも従わざるを得ない。しかし、おそらく条件を付けたのだろう。重い腰を上げ、馬車に乗ったジョゼフィーヌの隣にはイポリットの姿が見えた。彼女は愛人とともに夫のもとに向かったのだった。

 6月下旬にパリを発ったジョゼフィーヌは7月10日、ミラノに到着。用意されたセルベロニ宮殿に入り女王の様にもてなされる。ナポレオンと7月13日に再会するが、彼は3日後には未練を残しつつ再び戦場に向かう。相変わらずせっせと手紙を書き、少しでも時間ができると馬を飛ばしてセルベロニ宮殿に駆けつける。ジョゼフィーヌも相変わらず。毎日をパーティーや社交、軍事商人との取引(高収入の源泉)、そしてイポリットとのデートに明け暮れる。叔母のルノダン夫人への手紙にこう書いている。

「夫は、これ以上は考えられないというほどに、やさしくしてくれます。・・・夫は、まるで私が女神ででもあるかのように、一日中、私の前で見惚れています。これ以上にいい夫であることは不可能です」

 11月になると、さすがのナポレオンも手紙を書くどころか睡眠時間すらろくに取れないほど、オーストリアとの激戦が執拗に続く。11月15日、「アルコレの戦い」開始。3日に及ぶ壮烈な戦いでナポレオンは伝説の人となる。

「いとしいジョゼフィーヌよ、とうとう元気を取り戻すことができた。もう死は遠いものとなった。栄光と名誉だけが私の心の中に生きている。敵をアルコレで打ち破ったのだ」

 11月27日、ナポレオンはセルベロニ宮殿のジョゼフィーヌのもとへ駆けつける。1か月半ぶりのジョゼフィーヌとの再会。ナポレオンは段をとばして階段を駆け上がり、二階のジョゼフィーヌの部屋へと突き進んだ。そして、勢いよくドアを押す。ところが、ジョゼフィーヌの姿は見えない。手紙で知らせておいたのに、無事に帰りついた自分に縋り付いて泣くだろうと思っていたのに。部下の話では、ジェノヴァに出かけたとのこと。表向きの理由は、ジェノヴァ共和国上院が彼女のために開いてくれるパーティーに出席するためとなっていたが、おそらく本当のところは、めったに逢えないイポリットと逢えるチャンスができたのだろう。ナポレオンは、自分が見捨てられたと感じ、一人部屋に閉じこもって泣いた。そしてジョゼフィーヌに手紙を書く。

「僕はミラノに着き、君の部屋に飛び込んだ。君に逢うため、君をこの腕に抱きしめるために、すべて投げうってきた・・・。君はいなかった。君はパーティーに出るために町をかけまわり、僕がやってくるというのに僕から離れていく。・・・」

 こんな手紙を受け取ってもジョゼフィーヌは帰ってこない。再びナポレオンは手紙を書く。

「僕は君に予定を変更してもらおうとは少しも思っていないし、君のために開かれるパーティーにもそのまま出るがいい。僕は君をわずらわすに値しないし、愛してもいない人間の幸不幸など気づかうことはない。・・・さようなら、僕のジョゼフィーヌ。運命が、あらゆる悲しみと苦しみを僕の心の中に集中させ、そして、ジョゼフィーヌには喜びと幸せの日々を用意してくれますように。誰が彼女以上にこれに値しようか?彼女はもう僕を愛することができないのだとわかったときには、僕は深い苦悩を極力押し込め、彼女に何かのことで役立てるということで満足しようと思う。・・・」

 ナポレオンは3日待ったが、妻は帰ってこなかった。そして傷心のナポレオンは、再び前線へと戻っていった。ナポレオンの中で何かが壊れた。ナポレオンがあの情熱あふれる手紙を書くことは二度とない。

ミラノ セルベローニ宮殿 外観

ミラノ セルベローニ宮殿 内部

アルコレの戦い 先頭がナポレオン

グロ「アルコレ橋のナポレオン」ヴェルサイユ宮殿

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