夏目漱石と明治国家13 『それから』(3)代助と三千代①

 代助の「高等遊民」生活が崩れる背景には日露戦争後の時代状況が反映している。新聞が発行部数を大きく伸ばすのは日露戦争を契機としてだが、三千代の夫平岡の再就職先は新聞社(「某新聞の経済部の主任記者」)。また父から代助に持ち込まれた見合い話の相手は、父の恩人である佐川の娘。「そんなに佐川の娘を貰う必要があるんですか」「貴方にそれほどご都合がよいことであるなら、もう一遍考えてみましょう」と言う代助に父親は、「少しはこっちの事をかんがえてくれたらよかろう。何もそう自分の事ばかり思っていないでも」と言うだけで明確に「こっちの事」を説明していないが、父との「最後の会見」でその結婚が「政略結婚」であることを口にする。

「父は年のせいで健康の衰えたのを理由として、近々実業界を退く意志のある事を代助に洩らした。けれども今は日露戦争後の商工業膨張の反動を受けて、自分の経営にかかる事業が不景気の極端に達している最中だから、この難関を漕ぎ抜けた上でなくては、無責任の非難を免かれる事が出来ないので、当分やむを得ずに辛抱しているより外に仕方がないのだと云う事情をくわしく話した。代助は父の言葉を至極もっともだと思った。

 父は普通の実業なるものの困難と危険と繁劇と、それ等から生ずる当事者の心の苦痛及び緊張の恐るべきを説いた。最後に地方の大地主の、一見地味であって、その実自分等よりはずっと鞏固(きょうこ)の基礎を有している事を述べた。そうして、この比較を論拠として、新たに今度の結婚を成立させようとつとめた。

『そう云う親類が一軒位あるのは、大変な便利で、かつこの際甚だ必要じゃないか』と云った。代助は、父としてはむしろ露骨過ぎるこの政略的結婚の申し出に対して、今更驚ろく程、始めから父を買い被かぶってはいなかった。最後の会見に、父が従来の仮面を脱いで掛かったのを、寧ろ快よく感じた。」

さらに生活に困窮した三千代が父親に頼れない事情も描かれている。

「三千代の父はかつて多少の財産と称(とな)えらるべき田畠の所有者であった。日露戦争の当時、人の勧に応じて、株に手を出して全く遣り損なってから、潔よく祖先の地を売り払って、北海道へ渡ったのである。」

 しかし、うまくいかず手紙で「憐れなことばかり書いて」よこす状態だった。彼女が亡くなった兄の親友だった代助に金の工面を依頼したのもそうせざるを得ない事情があったのだ。

 もちろん、代助の「高等遊民」生活が崩れる中心となる契機は代助と三千代の関係の変化。そもそも二人はどのようにして知り合い、どのような関係だったのか。学生時代代助の親友だった菅沼は、当時高等学校を卒業したばかりの18歳の三千代を「修業の為と号して」上京させ、一緒に生活を始めた。

「代助はその頃から趣味の人として、三千代の兄に臨んでいた。三千代の兄はその方面において、普通以上の感受性を持っていなかった。深い話になると、正直に分らないと自白して、余計な議論を避けた。・・・

 兄は趣味に関する妹の教育を、凡て代助に委任した如くに見えた。代助を待って啓発されべき妹の頭脳に、接触の機会を出来るだけ与える様につとめた。代助も辞退はしなかった。後から顧みると、自ら進んでその任に当ったと思われる痕迹(こんせき)もあった。三千代は固より喜んで彼の指導を受けた。」

 三千代は代助を愛するようになる。代助も同じだった。それは、最後の場面で平岡に「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛していたのだよ」と語っている。それなのに、平岡から三千代への想いを知らされた代助は、なんと彼女を平岡に周旋し結婚させてしまう。その時を振り返って代助は平岡にこう言う。

「『その時の僕は、今の僕でなかった。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君の望みを叶えるのが、友達の本分だと思った。それが悪かった。今位頭が熟していれば、まだ考え様があったのだが、惜しい事に若かったものだから、余りに自然を軽蔑し過ぎた。僕はあの時の事を思っては、非常な後悔の念に襲われている。自分の為ばかりじゃない。実際君の為に後悔している。僕が君に対して真に済まないと思うのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣り遂げた義侠心だ。君、どうぞ勘弁してくれ。僕はこの通り自然に復讎(かたき)を取られて、君の前に手を突いて詫(あや)まっている』」

映画『それから』 菅沼が生きていた頃の4人

 左から菅沼(風間杜夫)、代助(松田優作)、三千代(藤谷美和子)、平岡(小林薫)


映画『それから』  代助のもとをおとずれる三千代

映画『それから』  代助のもとをおとずれる三千代

映画『それから』  平岡の家をおとずれる代助

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