夏目漱石と明治国家9 『三四郎』(9)三四郎の成長②
三四郎は美禰子に囚われ、苦しんでいる。
「恋人に囚われたのなら、かえっておもしろいが、惚れられているんだか、馬鹿にされているんだか、怖がっていいんだか、蔑(さげす)んでいいんだか、よすべきだか、続けべきだかわけのわからない囚われ方である。」
広田先生のところへ行くのも、彼の前に出ると呑気になれるから。気持ちが悠揚になり「女の一人や二人どうなっても構わない」と思えるから。もう一つの理由は、広田先生が野々宮に最も近い存在だから。三四郎を苦しめているのは、美禰子と野々宮の関係がつかめないから。「先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係がおのずから明瞭になってくるだろうと思う。これが明瞭になりさえすれば、自分の態度も判然きめることができる。」から。
三四郎と美禰子の関係が動くのは、与次郎が三四郎から20円の借金をしたことが契機。広田から預かった20円を馬券につぎ込んでしまったのだ。泣きつかれた三四郎は貸してやるが、なかなか与次郎は返さない。与次郎は返済のために美禰子から借りることに。しかし与次郎を信用していない美禰子は三四郎に手渡すと言う。それは美禰子の自分への特別な好意の表れではないか。
「美禰子は与次郎に金を貸すと言った。けれども与次郎には渡さないと言った。じっさい与次郎は金銭のうえにおいては、信用しにくい男かもしれない。しかしその意味で美禰子が渡さないのか、どうだか疑わしい。もしその意味でないとすると、自分にははなはだたのもしいことになる。ただ金を貸してくれるだけでも十分の好意である。自分に会って手渡しにしたいというのは――三四郎はここまで己惚れてみたが、たちまち、
「やっぱり愚弄じゃないか」と考えだして、急に赤くなった。」
考えているだけでは結局堂々巡り。しかし、実際に美禰子に会っても、素直にお金を受け取れない。どうしても借りなきゃいけないわけではないとかお兄さんに黙ってあなたから借りるのはよくないとか言う。
「御迷惑なら、しいて……」美禰子は急に冷淡になった。
二人で外出するが、無言のまま。三四郎はずっと美禰子のことを考えている。
「この女はわがままに育ったに違いない。それから家庭にいて、普通の女性(にょしょう)以上の自由を有して、万事意のごとくふるまうに違いない。こうして、だれの許諾も経ずに、自分といっしょに、往来を歩くのでもわかる。年寄りの親がなくって、若い兄が放任主義だから、こうもできるのだろうが、これがいなかであったらさぞ困ることだろう。・・・東京はいなかと違って、万事があけ放しだから、こちらの女は、たいていこうなのかもわからないが、遠くから想像してみると、もう少しは旧式のようでもある。すると与次郎が美禰子をイブセン流と評したのもなるほどと思い当る。ただし俗礼にかかわらないところだけがイブセン流なのか、あるいは腹の底の思想までも、そうなのか。そこはわからない。」
この後、二人は展覧会へ出かける。そこで離れた場所に野々宮の姿を目にした美禰子がとった行動。
「見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎のそばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。」
二人のやり取り。
「さっき何を言ったんですか」→「さっき?」
「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」→なんとも言わない。
「用でなければ聞かなくってもいいです」→「用じゃないのよ。・・・野々宮さん。ね、ね」
「野々宮さん……」→「わかったでしょう」
「野々宮さんを愚弄したのですか」→「なんで?・・・あなたを愚弄したんじゃないのよ」
「それでいいです」→「なぜ悪いの?」
「だからいいです」→「ほんとうにいいの?」
「ともかく出ましょう」
自己表現にはまだ乏しいが、自分の感情を態度で示し始める三四郎。それにしてもあきれるほど自意識に翻弄される三四郎だ。
小林清親「池の端花火」1881
小林清親「 不忍池畔雨中図」1876
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