夏目漱石と明治国家8 『三四郎』(8)三四郎の成長①
美禰子との関係も含め三四郎の現実世界とのかかわり方が変わっていくためには、自己認識と他者認識の両方が深化、発展する必要がある。それを三四郎にもたらすのは広田と与次郎の存在だろう。
広田は三四郎がつかみかねている美禰子について与次郎とこんなやりとりをする。広田は与次郎が「先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」と言われる人物だが、観察力、分析力はすぐれている。
「『あの女はおちついていて、乱暴だ』と広田が言った。
『ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある』
『イブセンの女は露骨だが、あの女は心(しん)が乱暴だ。もっとも乱暴といっても、普通の乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね』
『里見のは乱暴の内訌(ないこう)ですか』
三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それからが第一不思議であった。」
与次郎と広田の家を出た三四郎は、自分の疑問をぶつけこう言う。
「(広田先生は)さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」
美禰子認識が進展しつつある三四郎。与次郎とのこんな会話も、三四郎の背中を押しただろう。
「『君、女にほれたことがあるか』 三四郎は即答ができなかった。
『女は恐ろしいものだよ』と与次郎が言った。『恐ろしいものだ、ぼくも知っている』と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。
『知りもしないくせに。知りもしないくせに』 三四郎は憮然としていた。」
与次郎は行動の人。相手の気持ち、結果を考えて躊躇することなどみじんもない。入学して間もないころ、大学の講義に物足りなさ、つまらなさを感じ始めた三四郎に「活きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。」と言って「三四郎を拉致して」電車に乗せる。料理屋に連れていく。寄席に連れていく。また、広田先生を帝大教授にするため運動する。文章を書く、集会を開く、演説をする。「すこぶる能弁」だが「惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。」だが、そんなことは気にも留めずにずんずん突き進む。
大学の運動会の場面。美禰子が野々宮と会話しているのを目撃する。そのあと、美禰子と野々宮について話していたときそれを話題に出す。
「『さっきあなたの所へ来て何か話していましたね』
『会場で?』
『ええ、運動会の柵の所で』と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした」
一歩踏み出せば、心の平安は崩れる。後悔も生まれる。しかし、踏み出さなければ、関係は変わらない。三四郎は、恐る恐る前に踏み出したのだ。自己認識も深まり始める。美禰子の野々宮に対する讃辞を聞かされた後、自分と野々宮を比較してこう考える。
「自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。」
現実世界に踏み出すことが、後悔を生み、それが自己批判、自己認識、他者認識につながっていくのだ。
井上安治「新富町」1884
小林清親「雨の九段」1910
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