夏目漱石と明治国家4 『三四郎』(4)第二の世界と第三の世界
三四郎は池の縁で逢った女(美禰子)のことが忘れられない。大学が始まっても再会を願って池に近づく。
「あの女がもう一遍通ればよいくらいに考えて、度々丘の上を眺めたが、丘の上には人影もしなかった。」
「念のために池のまわりを二遍ばかり廻って下宿へ帰った。」
大学の講義は、当初は週40時間ほども聞いていたが、次第に圧迫、物足りなさを感じ、楽しまなくなる。それを知り合いになった佐々木与次郎に「活きている頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。」と言われ、電車を乗り回したり、寄席に出かけたりする。講義は半分に減らしてしまう。再び美禰子と会うのは病院。野々宮から頼まれて、入院している妹に袷を届けるために出かける。用を済ませ部屋を出た後のこと。
「部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。」
近づいた美禰子は、野々宮の妹の部屋を尋ねる。答える三四郎。ただそれだけ。しかし、三四郎の中で美禰子の存在は徐々にふくらんでいく。
「三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。」
そんな頃、三四郎は上京する列車の中で出会った「髭の男」が佐々木与次郎が書生をしている広田先生であることを知る。広田は高等学校の教師。独身。与次郎いわく「万事頭の方が事実より発達している」「気の毒なほど何もやらない」。「哲学者」「偉大な暗闇」。だから与次郎は「これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」。三四郎も、轢死事件があった時、上京する列車の中で広田から「危ない危ない、気をつけないと危ない」と言われたことを思い出してこう考える。
「あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。・・・批評家である。三四郎は妙な意味に批評家という字を使ってみた。使ってみて自分でうまいと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。」
東京に出てくる前の三四郎はひとつの世界に生きていた。しかし今や「三つの世界ができた」。新しい世界は、広田先生、野々宮に代表される第二の世界と美禰子に代表される第三の世界。
「第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精な髭をはやしている。ある者は空を見て歩いている。ある者は俯向いて歩いている。服装(なり)は必ずきたない。生計(くらし)はきっと貧乏である。そうして晏如(あんじょ)としている。電車に取り巻かれながら、太平の空気を、通天に呼吸してはばからない。このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅をのがれるから幸いである。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。出れば出られる。しかしせっかく解しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。
第三の世界は燦(さん)として春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性(にょしょう)がある。三四郎はその女性の一人に口をきいた。一人を二へん見た。この世界は三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。近づき難い点において、天外の稲妻と一般である。三四郎は遠くからこの世界をながめて、不思議に思う。自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができるような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。」
小林清親「湯島元聖堂之景」1879
小林清親「湯島天神」
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