ゴヤとナポレオン13 戦争後のゴヤ(2)「黒い絵」
有史以来の人間が描き得た最も恐ろしい絵のひとつがゴヤ『わが子を喰らうサトゥルヌス』。自らの子ども一人に支配権を奪われると大地母神(ギリシャ神話のガイア)に警告されたサトゥルヌス(ギリシャ神話のクロノス)は、子どもたちをむさぼり食う。この絵が衝撃的だったのは、ギリシャ神話のイメージと大きく異なっていたからだ。生まれたばかりのゼウスは、ガイアのアドバイスで救われ、クレタ島で育ち、吐き薬をクロノスに飲ませて兄や姉たちを吐き出させる。だから、『わが子を喰らうサトゥルヌス(クロノス)』ではなく『わが子を飲み込むサトゥルヌス(クロノス)』が神話のイメージ。しかしゴヤは、そのような神話の世界という枠を破り、人間の狂気そのものを表現した。この絵はさまざまに解釈されてきた。あらゆる近代化を潰すスペインの反動体制を表すとも考えられる。しかし、修復前の写真では、サトゥルヌスの男性器は勃起していたというから、ゴヤはサトゥルヌスを生命を奪うだけでなく、生命を授ける存在としても描いていたのであり、啓蒙主義的解釈ではとらえきれない。人間存在の残酷さ、狂気を描いたように思われる。
この絵のすさまじさを堀田善衛は『ゴヤ Ⅳ運命・黒い絵』のなかでこう述べている。
「お化けや地獄図は、別に怖ろしいというものではない。それはユーモラスであったり、教訓的であったりすることが出来る。けれども、この凄まじいレアリスムは、ユーモラスであったり、教訓的であったりすることは不可能である。・・・喰われている子供はすでに頭部がなく、いままさに左腕を肩から噛み千切られようとしている。(この一文を書きつづけながら、筆者自身も血の気が引いていくのを感じる。)そうしてこの子供を、腰のところでがっきとつかまえている巨人の、その指の一本一本の、何と、酷烈までに力強いことか。爪は子供の肉に食い入っているであろうし、あまりに強くつかまえているために、流れる血は両の人差指のところで血溜りとなってたまっている。つくづく、怖ろしいものを描いたものである。これが人間だ、人間の世界だ、と魯迅のようにゴヤも言いたかったものだろうか。この一枚は、悪夢のように、われわれの夢のなかにまで追蹤(ついしょう)して来る。」
この絵が描かれていたのは、1819年2月にゴヤが購入した「聾者の家」と呼ばれる別荘。同胞が血で血を洗った独立戦争(半島戦争)と、フェルナンド7世による対仏協力者への弾圧を辛うじてくぐり抜けてきたものの、この時ゴヤはすでに72歳。マドリッド市内の喧騒を離れて、娘ほど年の違うレオカディア・ソレーリャと、その娘で彼自身の子と言われるロサリオの3人で穏やかに暮らすことを考えていたようだ。しかし、ゴヤはこの家の壁に描いた。しかも、1階の食堂の壁に。ゴヤはこの血なまぐさいサトゥルヌスの姿を眺めながら食事をとっていたのだ。しかもこの別荘の壁には、『わが子を喰らうサトゥルヌス』を含め、14点の「黒い絵」が描かれた。この連作のあいだに統一的なテーマを見出すことはきわめてむずかしい。政治や社会に対する批判、抗議が含まれていたのは確かだ。例えば『棍棒での決闘』。棍棒を持った二人の男が、麦畑に膝まで埋まって闘いを繰り広げている。この絵が聖書にある、人類最初の殺人事件「カインによるアベルの殺害」を描いたことは間違いないにしても、ゴヤは決闘として描いた。スペインの内戦をほのめかしているのだろう。『アスモデウス』モ、通常、魔女の夜宴に連れ去られる男の姿を描いたものだと解釈されているが、奥の岩山は、奥の岩山は、1815年から1833年にかけて、自由主義者たちが立て籠もったジブラルタルの城塞とみることも可能である(ジブラルタルの城塞は、この絵の岩山にそっくりの形をしている。
しかし、「黒い絵」全体から感じられるのは人間の狂気、人間に対する絶望。明らかに時代状況も関係している。1820年1月、リエゴ将軍に率いられた蜂起で自由主義政権が誕生し、フェルナンド7世の圧政を終わらせる。しかしその基盤は弱く、王党派との武力衝突は続発し、騒乱状態のうちに1823年5月、「神聖同盟」の守護者アングレーム将軍率いるフランス軍がスペインに侵攻。1808年にはあれほど激しくフランス軍に抵抗した民衆もこの時は立ち上がらず、革命政権は崩壊。同年10月にはフェルナンド7世が国王の座に復帰。リエゴ将軍は処刑され、自由主義者に対する血の弾圧がスペイン全土に荒れ狂ったのである。
ゴヤ「棍棒での決闘」プラド美術館
ゴヤ「アスモデア」プラド美術館
ゴヤ「わが子を喰らうサトゥルヌス」プラド美術館
聾者の家における「黒い絵」の配置図
ルーベンス「わが子を喰らうサトゥルヌス」プラド美術館
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