ゴヤとナポレオン1 スペインとフランス(1)「陽の沈むことなき大帝国」の没落

 かつて「太陽の沈むことなき大帝国」だったスペイン。その海軍は「スペイン無敵艦隊」。16世紀は「スペインの世紀」と呼ばれた。しかし17世紀、うち続く戦争はほぼすべて敗北に終わり、海外の領土も次々とイギリスやフランスに割譲し、海上権も完全に喪失。1640年にはポルトガルの独立を、さらに1648年にはオランダの独立の承認などを強いられることになる。またフランスとの間では、三十年戦争さなかの1635年から「フランス・スペイン戦争」(西仏戦争)を戦う。三十年戦争後の1659年に終結しピレネー条約が締結されるが、スペイン・フランス国境はピレネー山脈とされ、それによってカタルーニャは東西に分断された。バルセロナ伯爵領だったカタルーニャは、現在フランスのオクシタニー地域圏のルション地方(ピレネー・オリアンタル県 県都ペルピニャン)も含んでいたからだ。以上の出来事はすべてハプスブルク家が統治していた時代(1516年~)のこと。しかし1700年、王朝自体が交代する。

 1665年、わずか4歳で即位したカルロス2世【在位:1665~1700】は生涯を通じて病弱であり、全く統治能力を欠いていた。そのうえ、度重なる近親結婚や父王フェリペ4世が梅毒に侵されていたこともあって、遺伝的欠陥を持っていた。気が弱く、9歳になって文字が書けなかったという。このような国王のもとで、王の寵臣たちが暗躍。宮廷で権力闘争や陰謀が繰り返される。国内外は混乱し、スペイン没落の運命はその極みに達した。1700年、スペイン衰退のシンボルのようなカルロス2世は、後継者のないまま35歳の薄幸な生涯を閉じる。では、彼が署名した遺言書には誰が後継者に指名されていたか?フランス王ルイ14世の孫フィリップである。ルイ14世の王妃はフェリペ4世の娘マリア・テレサ。したがってフィリップはカルロス2世の父フェリペ4世の曾孫だった。ルイ14世は、カルロス2世の遺言書に、「ピレネー山脈はもうなくなった」と驚喜したと言われる。

 こうして17歳のフィリップがフェリペ5世として即位し、1701年2月18日マドリッドに入城する。しかし、ルイ14世の強大な権力を危惧したオーストリア、イギリス、オランダなどの列強が黙っているはずがない。「大同盟」を結成し、フランスとスペインに対して宣戦布告。この「スペイン王位継承戦争」は12年間も続き1713年に終結。フェリペ5世はスペイン本土とインディアスの植民地を継承し、ジブラルタル(イベリア半島の南部にある小半島)はイギリスに割譲された(現在もイギリス領。面積 5.8km2。人口 3万)。

 このようにヨーロッパ列強の間では和平が成立したものの、スペイン国内では戦闘が続いていた。スペインを統治することになったブルボン家がフランス型の中央集権・絶対王政を採用し、すべての地方的特権を否認したことにカタルーニャを中心とする勢力が武力抵抗を試みたのだ。1713年7月から戦闘が始まったが、翌1714年9月11日、大軍に包囲され、激しい抵抗の末にバルセロナはフェリペ5世の軍門に降った。

 これによって、カタルーニャ語の使用禁止、カスティーリャ語の公用語化、バルセロナ大学の市外への移転などの措置が講じられた。つまり、ブルボン王朝は、カタルーニャのアイデンティティを抹殺し、一地方として国家に組み込んだのだった。カタルーニャにとって「9月11日」は、自己の主体性を回復させるスローガンとなる。カタルーニャ議会で「9月11日」が正式にカタルーニャ州の祝祭日に指定されたのは1980年。この「ディアーダ・ナシウナル・ダ・カタルーニャ(カタルーニャ語: Diada Nacional de Catalunya)」(日本語では「カタルーニャ国民の日」や「カタルーニャの日」などと表記される)には、カタルーニャ独立を標榜する組織や独立を志向する政党は、スペイン継承戦争時にフェリペ5世軍に対抗するカタルーニャ軍の総司令官だったラファエル・カザノバ将軍の銅像に花束を捧げる。カタルーニャ民族主義者はデモ行進を組織し、多くの市民が「サニェーラ」(カタルーニャ旗)や「アスタラーダ」(カタルーニャ独立旗)を揺らす。

バルセロナ包囲戦(1713年 - 1714年)

2017年9月11日「カタルーニャ国民の日」のデモ

バルセロナのラファエル・カサノヴァ像 

  カタルーニャ広場から Sant Pere通りを少し行ったところ

アスタラーダ(カタルーニャ独立旗)

サニェーラ(カタルーニャ旗)

ペルピニャンのあるピレネー・オリアンタル県(フランス)の紋章

「ピレネー条約を締結する、ルイ14世とフェリペ4世」ル・マン テッセ美術館

フアン・カレーニョ・デ・ミランダ「カルロス2世」ローラウ城

ジャン・ランク「フェリペ5世」プラド美術館

0コメント

  • 1000 / 1000