フランスの歴史と郷土料理12 リヨン(2)「川カマスのクネル」
キュルノンスキーに「リヨンはガストロノミーにおいて世界の首都だ」(Lyon est la capitale mondiale de la gastronomie. )と言わしめたのはどんな料理を食べてのことだったか?「川カマスのクネル」、「エクルビス(ザリガニ)のグラタン」、「川ハゼの小魚唐揚げ」。ここでは、今でもリヨンのどのレストランでも出されている伝統的郷土料理「川カマスのクネル」(Quenelles de brochet sauce Nantua)を取り上げる。
この料理、川カマスを美味しく食べさせるためにどのような工夫がなされているか?比較のために、まずロワール地方の郷土料理「川カマスの白バターソース」(Brochet au Beurre Blanc)から。最初に、川カマスをクール・ブイヨン(水・白ワイン・香味野菜・香辛料などを煮立てたもの)の中で茹でる。これにかけるのがソース・ブール・ブラン。今では魚用ソースとしてフランス中で愛用されているが、発祥の地はアンジェかナント(いずれもロワール川流域)。刻んだエシャロット、ワインビネガー、魚のだしなどを煮詰め、バターを少しづつ加えながら分離しないようにかき立て合わせ、きめの細かいクリーム状に仕上げたソース。
ではリヨンの「川カマスのクネル」はどうか?川カマスを茹でるところまでは同じだが、その後骨をきれいに取り除いた魚の切り身をすり身にして茹でる。これだけだと日本のはんぺんと同じだが、すり身に混ぜるつなぎがまるで違う。はんぺんは山芋だが、クネルは卵・小麦粉・牛乳・バターを合わせた「パナード」(Panade)という生地。驚くほどたっぷりのバターを使う。超高カロリー!そして、すり身とパナードを混ぜ合わせたものを小さな俵型にまとめ、中火にした湯の中にそっと落として、15分くらい茹でる。それから、オーブンで焼く(焼かないタイプもある)。かけるソースは「ソース・ナンチュア」。リヨンの隣のアン県の街「ナンチュア」発祥のソース。エクルビス(ザリガニ)の殻と香味野菜を炒め、フュメ・ド・ポアソン(魚の出汁)を加えて煮詰めて、生クリームでのばす。
ロワール地方の郷土料理「川カマスの白バターソース」とくらべても、リヨン「川カマスのクネルのナンチュア・ソース」がかなり手が込んだ料理であることがわかるが、そこには美味しくさせる工夫とともにボリュームを出す工夫もされている。クネルのつなぎに「パナード」を使っている点だが、見た目にも焼き上がったクネルは倍ぐらいに膨れていてボリューム感も満点。
こんな料理を生み出したのは「メール・ギー」(Guy)、「メール・ビュイソン」(Buisson)、「メール・フィユー」(Filloux)、「メール・ブラン」(Blanc)など「メール・リヨネーズ(リヨンの母たち)」と総称される女性料理人たち。リヨンは金融と絹織物で繁栄した経済都市で、多くのブルジョアが生活していた。彼ら上流階級は周囲の田舎から若い娘を集めてお抱え料理人としていた。彼女たちは周辺から良い食材が入る条件を生かし美食文化を育てた。しかし、19世紀後半頃から、リヨンの絹織物産業は衰退し、職を失った彼女たちは小さなレストランを開いて、町の絹織物労働者に食事を提供。こうして金持ちの料理と庶民の料理の融合が生み出された。だからこそ、安い食材(川カマスやザリガニは大量にとれたので安く手に入った)に工夫を加えて、美味しくボリュームのある料理が創造されたのだ。
ところで、歴史に残る多くのメール・リヨネーズの中で、リヨン料理のシンボルでもあるのが「メール・ブラジエ」(Mère Brazier)ことウジェニー・ブラジエ(Eugénie Brazier)。20才でリヨンの大きなお屋敷の召使として入り、そこで料理を任される。そこを辞した後、当時有名なレストラン「メール・フィユー」のもとに弟子入りを果たし、レストランビジネスも学ぶ。そして、26才で独立。1933年には女性として初めてミシュラン3つ星を獲得して美食の町の名声をつくりあげた。彼女の料理はマレーネ・ディートリヒやシャルル・ド・ゴールといったセレブリティたちを魅了した。フランス料理界の巨匠として世界に名を馳せたポール・ボキューズもまた彼女の弟子の一人だ。
「川カマス」(ブロシェ Brochet )
「川カマスのクネル」(Quenelles de brochet sauce Nantua)
ソース・ナンチュアの材料
「メール・ブラジエ」(Mère Brazier)ことウジェニー・ブラジエ(Eugénie Brazier)
「川カマスのクネル」 ライスが添えられることが多い。リヨンを流れるローヌ川の下流にあるカマルグ(米の産地)とのつながりだろうか。
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