フランスの歴史と郷土料理10 ブルターニュ(5)モネとゴーギャン
モネは、1886年秋、ブルターニュのモルビアン湾に浮かぶその名も「美しい島」ベル・イルを訪れる。当初、ブルターニュを15日間旅する予定だったが、ベル・イルに魅了され75日間滞在することになった。
「ここの海はまったく美しい。奇怪な形の岩と洞穴の寄せ集めです」(1886年9月アリス・オシュデ宛手紙)
大西洋との初めての接触は、モネを心底から揺り動かしたようだ。
「僕はこの土地に魅了されているのです。もっともかなり困ってもいます。というのもノルマンディー海岸を描くのに慣れ、それなりの描き方を身につけたと思っていたのですが、大西洋となると話は別だからです」
(1886年10月11日カイユボット宛手紙)
彼は島の西端近くの小村の漁師の家に居を定める。沖合を望むその地の奇観は、モネにインスピレーションを与え、彼は場所と状況(雨と嵐など)によって数種類に分類される40点ほどの作品を描いた。モネはこのギザギザした海岸で、大地と海の間で繰り広げられる絶えざる闘争に関心を示し、波しぶきが上がる海面と岩々の塊との間の質感の対比、色彩の対象を表現しようとした。
「ほんとうに海を描くには、その場所の生活を熟知するため、同じ場所で、毎日、毎時間、眺め続けなければならない。だから、僕は同じモチーフを4回も6回も繰り返し描き続けている」
(1886年10月アリス・オシュデ宛手紙)
同じブルターニュ地方でも、後期印象派の画家ポール・ゴーギャンが愛したのは、迂回入り江にアヴァン川が注ぐ美しい村ポンタヴァン。ケルト民族の伝統を継承した文化や風習が色濃く残り、1860年代以降、多くの画家たちがこの場所に魅了されていた。水車が回り芸術的な雰囲気をたたえた美しい村で,民族衣装を着た住人が喜んで芸術家のモデルとなるような所だった。1886年に初めてこの村を訪れたゴーギャンもまたこの村の魅力に惹かれ、86年から94年の間に4度滞在している。
毎年5月から9月にかけてブルターニュの各地で行われる伝統行事「パルドン祭」。「パルドン」とは「告解」のこと。信者たちは聖人の墓や聖人に献げられた場所に向けて巡礼する。このパルドン祭りは、19世紀フランス美術における人気の主題であった。祝祭のために地元ブルターニュの人々は伝統的な服装を着飾り、野外での祭りに繰り出していったからである。最も目をひきつけるのは女性のつけるレースの髪飾り「コワフ」。花模様を金糸で刺繍した衣装に同じくレースの襟やエプロンもつける。ゴーギャンは、このブルターニュ女性(ブルトンヌ)をブルターニュの風景の中に描き出した。ゴーギャンの「黄色いキリスト」はこの地方の素朴な木彫りのキリスト像をモデルにし、ブルトンヌを配した印象深い傑作である。
1886年の秋,最初のポンタヴェン滞在からパリへ戻ったゴーギャンはゴッホに出会い二人は意気投合。ゴッホはゴーギャンがポンタヴェンでつくったような芸術家村をアルルにもつくりたいと夢見るようになる。1888年10月ゴーギャンはゴッホの弟テオの計らいでアルルにやって来た。しかし個性の強い二人の芸術家の生活は次第にぎくしゃくしたものとなっていく。あまりに純粋で一徹なゴッホ,傲慢なほどに自分の論理を貫くゴーギャン,芸術的資質についてはゴーギャンの言葉によれば「ゴッホはロマン派的でゴーギャンはプリミチィフなものに惹かれる」。もともとゴーギャンはアルルの街には魅力を感じていたわけではなく、もっとプリミチィフな原始的世界への憧れが強くあった。こうしてゴーギャンは傷ついたゴッホを残して未来への夢に向かって突き進む。1891年、長年の夢を実現させるべくゴーギャンはタヒチへと旅立つ。野性の中に神秘や真実を見出そうとする画家にとって虚飾に満ちた洗練された世界は無意味だった。ゴーギャンはついに腐りきった文明の世界から脱出することを決意したのだ。
全く異なるタイプの画家モネとゴーギャンゴーギャンを惹きつけ、二人のその後の転機にまでなったブルターニュ。食も含めその魅力は多様である。
コート・ソヴァージュ ベル・イル
モネ「嵐のベル・イル海岸」オルセー美術館
ベル・イル島 コトン港のピラミッド岩
モネ「ベル・イル島 コトン港のピラミッド岩」個人蔵
ゴーギャン「黄色いキリスト」オルブライト=ノックス美術館
ゴーギャン「ブルターニュの4人の女」ノイエ・ピナコテーク
ゴーギャン「説教の後の光景」スコットランド国立美術館
ポン・タヴァン
ポン・タヴァン
パスカル・ダニャン=ブーベレ「ブルターニュのパルドン祭り」メトロポリタン美術館
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