フランスの歴史と郷土料理9 ブルターニュ(4)「スパイスの魔術師」オリヴィエ・ロランジェ
2008年11月5日、一人の三ツ星レストランのシェフがミシュラン社を訪れ、ミシュランガイドのナレ編集長に星返上を告げた。シェフの名は、オリヴィエ・ロランジェ。世界遺産にも指定されている景勝地モンサンミッシェルと向かい合って、ブルターニュの豊かな湾に面した港町カンカルでレストラン「メゾン・ド・ブリクール」を営んでいた。本人は「ミシュランガイドが三ツ星をつけたがったレストランを閉めた。そういうことであって、返上とは全く意味が違うのです」とある対談で語っているが、当時は三つ星レストランのシェフが星を返上するというセンセーショナルなニュースとして話題になった。
オリヴィエ・ロランジェは「スパイスの魔術師」と呼ばれた料理人。最初それを知った時、なぜ生まれも育ちもブルターニュの彼の料理の特徴が「スパイス」にあるのかと不思議に思った。しかし調べていくうちに、自分がブルターニュに対していかにゆがんだイメージ(「保守的で、閉鎖的」)にとらわれているかを思い知らされた。パリを中心に見ていたからそうなってしまったのだ。確かにパリからは実に不便。しかし、もっと大きな地図でブルターニュの位置を見てみれば、三方を海に囲まれたこの土地が世界に向かって開かれた場所であったことがわかる。ドーバー海峡の向う側に位置するイギリスは世界の海に乗り出し大英帝国を築き上げたではないか。
まずフランス東インド会社の話をしよう。東インド会社と言うとイギリスが有名だが、設立時期はイギリスが1600年に対して、フランスも1604年とほぼ同時期。アンリ4世が対インド貿易でのオランダとイギリスの独占に対抗して組織した。しかしインドとの貿易を活発化させようとする試みは失敗に終わり、オランダとイギリスの貿易独占を崩すには至らなかった。そのため東インド会社の構想はしばらく放置されたが、ルイ14世が親政を始めてからは、重商主義の国策として採用し情勢は一変。1664年、財務総監コルベールが、同盟国であったオランダ東インド会社を模範として会社を抜本的に改組。この時、ブルターニュ地方南部にロリアンという東インド会社専用の港湾都市が建設された。1720年から30年まで10年をかけて、何もなかった場所に広大な施設と町が作り出された。造船所、船舶の艤装基地、東インドの物産を売却するための建物、商品を保管する倉庫、事務所、会社で働く4000人以上の人々の住宅。都市の名前ロリアンが、この町が東インド貿易のために建設されたことをはっきり示している。「ロリアン」の綴りは「Lorient」。これだけではわかりずらいが、アポストロフを入れると明確になる。「L’orient」、つまり「オリエント」=「東方」。インドや香料諸島など香料貿易の向かう先の世界だ。だからスパイスとのつながりは濃厚なのだ。
このフランス東インド会社で活躍した人物にマエ・ド・ラ・ブルドネ(1699-1753)がいる。サン・マロの艤装業者の家に生まれ東インド会社の航海士となり、結婚までの6年間だけでもアジア域内貿易で巨額の財産を獲得(フランス東インド会社は、職員のアジア域内貿易=私貿易を認めた)。やがて東インド会社のブルボン島、フランス島総督に就任。実は、オリヴィエ・ロランジェ自身が著作の中で、このラ・ブルドネを幼少時の彼のヒーローのひとりにあげこう述べているのだ。
「世界へと乗り出したこれらのブルターニュ人がそうであったように、私には香辛料に対するブルターニュ的情熱がある。」
ちなみに、ロリアンすぐ近くのポール・ルイに「東インド会社博物館 Musée de la Compagnie des Indes」がある。フランスでも唯一のもので、17世紀と18世紀のヨーロッパの大貿易会社の、とりわけ1666年にロリアンに置かれたフランス東インド会社の類いまれなる冒険の足跡を紹介している。
また、ブルターニュには「カリ・ゴス kari gosse」(ゴス・カレー)という秘伝のカレースパイスがある。インドとの貿易によってもたらされたスパイスを、19世紀にロリアンの薬剤師のゴス氏が調合したもの。原材料は、しょうが、ターメリック、クローブ(丁子)、赤唐辛子、シナモン、こしょう。ブルターニュ人が長く愛し、慣れ親しんできた、魚介料理の味付けに最高のスパイスとされる。ブルターニュとスパイスのつながりは深い。
ああ、無性にレストラン「アラジン」の川崎シェフのスペシャリテ「鶉の木の子とワイルドライス詰めローストカレー風味ソース」が食べたくなった。
ロリアンの港の模型 東インド会社博物館
東インド会社博物館(ポール・ルイ)
ロリアン
「スパイスの魔術師」オリヴィエ・ロランジェ
ラ・ブルドネの銅像 サン・マロ
カリ・ゴス
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