フランスの歴史と郷土料理8 ブルターニュ(3)「コトリアード Cotriade」
ブルターニュは海の幸の宝庫である。単に水揚げ量が多いというのではない。その質が一級品なのだ。例えばモン・サンミッシェルに近いサン・マロ やカンカルの港で揚がるオマールエビ。青みが買った甲羅に白い斑点があり「大西洋の青い宝石」と呼ばれる。味がよくて漁業量が少ないので、他のオマール海老の3~4倍もの値段がするそうだ。また、カキも有名。ルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿へカンカル産カキを取り寄せていたが、昔からカキの養殖が盛んだ。フランスはヨーロッパ第一のカキ生産国で、1963年まではフランスのカキ市場のほぼ100%を「ヨーロッパヒラガキ」という品種が占めていた。そのなかで一番有名なのが「アヴェン・ブロン」(一般に「ブロン」と呼ばれる)。フィニステール県南部の3つの河口で生産(満潮で流れ込む海水と、ブルターニュの河川や泉から注ぐ淡水が混ざり合う養殖池で最後の熟成が行われる)されるが、1963年にブルターニュ地方を襲った大寒波とその後に発生した疫病で80%の牡蠣が死滅してしまう。今日ではブロンの生産量は1年に5000トンだけになってしまった。さらに、港町コンカルノーはマグロの漁獲高がヨーロッパ一だが、ここの腕利きの漁師が一本釣りにしたスズキはフランス中で最も高値がつけられているそうだ。
ブルターニュの有名な海鮮郷土料理と言えば「コトリアード Cotriade」。「ブルターニュ風ブイヤベース」、「白いブイヤベース」と称されることもある魚介スープ。基本の作り方はいたってシンプル。数種類の魚介類を野菜や香味野菜、香草と一緒に煮込んだシンプルなもの。たっぷりのバターを加えるのがブルターニュならではのポイント(フランスでバターといえば、日本と違って無塩バターが主流だが、ブルターニュ地方はバター消費量の9割が有塩。有塩バターの消費量は全国平均値の1.5倍とフランスで一番高い。三方を海に囲まれ、海水から豊富に取れる塩の生産地だからだろう。有名なのはゲランド)。「コトリアード」とはブレイス語(ブルターニュ地方の少数言語)で「鍋の中身」という意味。料理と呼べるのかどうかすら怪しいざっくばらんな煮込み料理で、ルーツはかつての漁師の食事。昔から豊かな漁場として知られていたブルターニュ地方だが、高級な魚介は富裕層の口へ。漁師の口に入っていたのはもっぱら売り物にならない傷ついた魚。海から戻った漁師は海辺で大きな鍋で海水を沸かし、その中に頭や身の欠けた魚や殻の取れた貝の身を投げ入れ、何種類かの香草とともにぐつぐつと煮て食べていた。
ところで、ブルターニュは日本とも意外な関わりを持っている。その一つが「France-Okaeshi(フランスお返し)プロジェクト」。2011年東日本大震災発生。三陸地方の牡蠣養殖業者は壊滅的な打撃を被った。それに対し支援の手を差し伸べたのが、ブルターニュ地方の養殖業者たち。養殖用の機材が津波で流されてしまったと聞いて「お返しプロジェクト」を発動、カキを海中につり下げるロープやブイなど、10トンもの機材を探し出し、種牡蠣を沈める期間に間に合うよう空輸で三陸の養殖業者に届けた。この機材は、三陸産牡蠣の種の保存の大きな礎となり、何よりも「遠くフランスも応援している」という事実が、被災地のカキ生産者の大きな励み、事業再開へのモチベーションとなったそうだ。また、フランス国立基金は20万ユーロの支援金を決定、この支援金は、宮城唐桑に「カキの販売センター」を建設する費用などに活用されたという。
ではなぜ「お返し」なのか?話は1963年にさかのぼる。80%のカキが疫病で死滅するという危機に対して、この病気に打ち勝てるカキを生産者や学者が世界中を探し求め、世界中のカキを試したところ、行き着いたのが日本のマガキ種。そしてその時に、牡蠣を寄贈したのが日本の三陸の養殖業者たちだったのだ。現在、フランスで流通している牡蠣にはマガキとヒラガキ(丸型)の2種類があって、現在98%を占めるマガキは別名Huitres Japonaise(日本の牡蠣)とも呼ばれ、そのルーツは三陸産カキなのだ。この「France-Okaeshi(フランスお返し)プロジェクト」にはさらに続きがある。2016年3月、フランスで牡蠣が死んでしまう病気が再発。「フランスお返しがえしプロジェクト」が日本側から発動され、今後も日本とフランス両国で力を合わせて課題に取り組むことが確かめ合われたということだ。
カンカルのカキの養殖棚
カンカルのブロン
ジョン・シンガー・サージェント「カンカルのカキ獲り」1877年 ワシントン・ナショナルギャラリー
「コトリアード」
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