フランスの歴史と郷土料理3 プロヴァンス(1)ロゼと太陽、ミストラル
「オランジュのローマ劇場とその周辺及び『凱旋門』」」、「アルルのローマ遺跡」、「ポン・デュ・ガール」。いずれもプロヴァンスの世界遺産。この地域にこれだけローマ遺跡が残るのは、すでに紀元前121年にローマの属州になっていたからだ。州都がコロニア・ナルボ・マルティウス(現在のナルボンヌ)に置かれたため、それにちなんで「ガリア・ナルボネンシス」と名付けられたが、もともとの名前は「ガリア・トランサルピナ」(「 アルプスの向こうのガリア」)。アルプス山脈を越えないガリア人の住む地域「ガリア・キサルピナ」(「アルプスのこちら側のガリア」)と区別されての命名だった。この地にはすでに紀元前7世紀頃にギリシャからぶどうがもたらされていたが、ローマの属州となることでローマ化が進み、ワインづくりも拡大していった。
プロヴァンスのワインといえばなんといってもロゼ。照りつける太陽のもと、紺碧の海を眺めながら、白い砂浜のテーブルで飲むきりりと冷えたロゼはヴァカンス気分にぴったり。トマトやオリーヴオイル、にんにく、ハーブをふんだんに使うプロヴァンス料理とも相性ぴったり。プロヴァンスのロゼワインの生産量はフランス最大。AOCコート・ド・プロヴァンスなど、その生産量の9割近くがロゼワインだという。白よりもしっかりしていて、しかも赤と違って冷やして飲めるロゼがこの地で好まれるのは、やはり太陽。東京の年間日照時間2000時間に対して、プロバンスはなんと3000時間(年間300日晴れる)!ゴッホがアルルに向かったのもこのプロヴァンスの太陽を求めてだった。ちなみに県庁所在別のランキングトップは山梨県甲府市で2213.9時間(1993~2012年の平均)。
しかし、おもしろいのはゴッホが南フランスの太陽を日本のそれと重ねてイメージしていたことだ。アルルに到着して間もない1888年3月、友人ベルナールに宛ててこんな手紙を書いている。
「君に便りをする約束をしたので、まずこの土地が、空気の透明さと明るい色彩効果のために僕には日本のように美しく見えるということから始めたい。水が風景の中でエメラルド色と豊かな青の色斑をなして、まるで浮世絵の中で見るのと同じような感じだ。淡いオレンジ色の夕日が地面の色を青く見せる。華麗な黄色の太陽。」
1888年6月には「種をまく人」を描いている。画面いっぱいに埋め尽くされたアルルの6月の眩い太陽と黄金色にうねる麦畑。まさにゴッホのプロヴァンスの印象が表現されている。しかし、プロヴァンスの特徴は強烈な太陽だけにあるのではない。時には40℃にもなる夏の酷暑だけではブドウ栽培には適さない。地中海の湿気を運びブドウ畑を日照りから防ぐと言われる「ミストラル」の存在が不可欠なのだ。「ミストラル」とは、アルプス山脈からローヌ川やデュランス川の流域を吹いて速度を増し、プロヴァンス地方を吹き抜けて地中海に達する激しい北風。年間120日から160日間も吹き、突風の平均は風速90kmにもなるそうだ。90年代に世界的プロヴァンス・ブームを起こした小説「南仏プロヴァンスの12か月」(ピーター・メイル)には、ミストラルについて「樹木を根こそぎにし、車を覆し、窓を破り、老人を溝に叩き込み、電信柱をへし折ることがある」と書かれている。屋外で描いたゴッホも、当然このミストラルには苦しめられた。吹き募るミストラルのなかで、揺れるキャンバスに絵を描くために、画架の足を地面に深くさしこみ、さらに脇の方には50センチの長さの鉄の杭を差しこんで、それに画架を縄で縛りつける工夫までした。セザンヌの絵に関して、こんなことも手紙で書いている(1888年6月ごろベルナール宛)。
「私は時々セザンヌのことを考えざるを得ない。彼は幾つかの作品の筆使いが不器用なのは――不器用という言葉をゆるしてくれたまえ――多分ミストラルの吹き荒れるなかで描いたためだろう。これまで私の描いてきた時間の半分は風のなかの仕事だったが、同じ困難にぶつかって、なぜセザンヌのタッチがあるときは確かで、あるときはぎこちなく見えるのか、その理由が説明できる。彼の画架が揺れたのだ。・・・戸外の写生の現場に立って、果断な仕事に迫られるとき、いつも整って落ち着いたタッチで描けるだろうか。まあ、フェンシングで攻撃にうって出るようなものだ。」
ゴッホはミストラルを「悪魔の風 」と呼んでいた。
ロゼワインで乾杯
ゴッホが住んだアルルの街とローヌ川 中央が古代ローマ遺跡の円形闘技場
ゴッホ「種まく人」クレラー・ミュラー美術館
ミストラル
ミストラルから家を保護する糸杉
ビーチで楽しむロゼワイン
カエサルがガリアに赴任した当時(紀元前58年)のローマ属州
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