寿司のはなし5 握りずしと江戸っ子
現在、高級すし店のスタイルの主流は、つまみで酒を楽しみ、最後に握りを少々というコースのようだ。そんな店があってもいいとは思うが、本来の江戸前握りずしのような寿司屋(もちろん回転ずしではない。きちんとしたまっとうな仕事がされているすしをまっとうなすし職人が握ってくれる店)があってもいいと思う。あの『すきやばし次郎』の小野二郎さんが作家の高橋治との対談でこんなことを言っている。
「鮨そっちのけでおしゃべりに夢中になっていらっしゃると、正直いって悲しいです。酒とおしゃべりを楽しみたいんだったら居酒屋へ行かれたほうがいい。鮨屋というのは、屋台の時代から鮨を食べるところなんですよ。」
江戸前握りずしの原点は屋台ずし。江戸末期にはすし屋は各町内に一、二軒は必ずあって、ちょいと小腹を満たせるので、江戸っ子は毎日のように足を運んだ。その多くは屋台店。暖簾をくぐって店の前に立つ。店主が大きめの湯呑茶碗に茶を注いで出す。客は目の前の箱から食べたいすしダネを選んで注文。店主はさっさと握る。客もさっさと食べる(小野二郎さんいわく「鮨の味は下準備の″手当て″が8割で、2割が握り。すべての努力はお出しする一瞬のためです。できたら、うちの鮨は3秒ぐらいで召し上がっていただきたい。」)。一貫の大きさは今のすしの倍以上。握り飯に魚を乗せたようなイメージ。二貫も頼めば小腹は満たされる。長居は野暮。お代を置いて、残ったお茶で指をすすぎ、暖簾の端で拭いて(「うまかったよ」という江戸っ子流の挨拶)出ていく。
対談での小野二郎さんの話に戻る。
「握り鮨という食べ物は、そもそも歓談の場には向いていないんです。すぐ味の変わる食べ物で、最も美味しいのはお出ししたその瞬間。時間を置くほど飯は冷めて固くなり、種も乾いていきます。私どもは、つねにお客さまの口へ入る時間を考えながら種を煮たり、酢で締めています。車海老はお客さまが席についてから茹で始めます。飯櫃を藁の器で覆って人肌に保つのも、いつも理想的な状態で味わっていただきたいからです」
寿司屋と酒について、北大路魯山人も「握り寿司の名人」の最後にこんなことを書いている。
「・・・酒の飲める寿司ができたのは戦後である。戦前は茶で寿司を食っていた。なにがそうさせたかといえば、それは寿司屋が椅子に変わったせいである。
椅子がなければ昔のように立ち食いをしていたであろうが、現在では立ち食いの店構えを持ちながら椅子を置いている。椅子があれば酒が欲しくなる。これは終戦直後料理屋が不自由であり、いきおい料理が高額であったから、寿司で酒を飲むこと、ついでに飯を食うことを酒飲みが発見したのである。
これならいろいろの魚が食えて、飯も食えるから料理として満点である。高級料理屋では、自分の好きなものばかり食うわけにはいかないが、寿司屋では、まぐろ、あかがいを食うというように、いろいろなものが食える。この点、食べ物の自由がある。従ってこれほど重宝なものはない。しかし、これは、寿司屋と呼ぶより、自由料理屋と呼んだ方がふさわしいように思う。従来とはまったく様式の異なった新日本料理が生まれたのだ」
池波正太郎も好んだ銀座の『新富寿し』(「私が、この店の鮨が好きなのは、種と飯とのぐあいがちょうどよくて、飯の炊き方が好みに合っているからだ。」『むかしの味』。現在は閉店)で、修業時代から数えること22年間、3代目の右腕として働いてきた三橋克典さんが一昨年銀座にオープンした『銀座 鮨 み冨』。多摩にこんな店があったら通っちゃうのだが。HPにこんな三橋さんの言葉が載っている。
「江戸前鮨は、江戸時代のファストフード。『何かつまませて~』と、何時でも立ち寄ってください。おこのみで2~3貫、お酒1合でサクッと20~30分。そんな風に使ってくださっても」
広重「寿司」
国貞「東都高名会席尽 燕ゝ亭 名古屋山三」
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