「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」5 ロレンツォ・ダ・ポンテ④

 ボーマルシェの戯曲『フィガロの結婚』のオペラ化を最初に提案したのはモーツァルトだが、その上演の許可を皇帝からとりつけたのはダ・ポンテだった。その経緯をダ・ポンテは『回想録』の中でこう語っている。

「そのようなわけで私はテクストを仕上げにかかった。私たちは協力して作業をした。私が一場を書き上げるや否や、モーツァルトがそれに音楽を付け、6週間のうちにすべては完成した。モーツァルトは今回はついていた。劇場は新作オペラの不足をかこっていた。私はこの好機を利用し、誰にも相談せず、《フィガロ》を皇帝に個人的にお勧めした。

『なんだって』と陛下はおっしゃった。『なるほどモーツァルトは器楽曲には実にすぐれた才能をもっているが、これまで書いたオペラは一曲だけで、それは、とくに見所のないものだったがね』

『わたくし自身も』と、私は恭しく言葉を返した。『皇帝陛下のありがたいご好意がございませんでしたら、ウィーンではオペラを一作だけ書いたことになったと思われます』

 この部分は、ダ・ポンテの1作目のオペラ《一日成金》は不評だったが、2作目のオペラ《愛想は悪いが、気のいい男》は輝かしい成功をおさめたことを例に、モーツァルトの才能を1曲のオペラだけで判断しないでいただきたい、と皇帝に進言しているのだ。ダ・ポンテは続ける。

「『それはそうだが、『フィガロの結婚』を余はすでにドイツ劇団に禁じたのだ』

『存じております。けれどもわたくしは音楽のためのドラマを書いたのでございまして、喜劇を書いたわけではございません。複数の場面を省略し、多くの場面を思い切って短くしなければなりませんでした。そのときに良俗や礼儀に反するものは全部削除しまして、陛下ご自身がおいでになる劇場にふさわしくないものは取り除きました。また、音楽に関しましては、わたくしが判断するところでは、まことに並外れて美しい仕上がりと思われます』

『そうか、そのような判断とあらば、音楽についてはあなたの趣味のよさを信じ、テクストについてはあなたの才知と熟練の技を信じよう。総譜を官房書記に渡すように』

 わたしは大急ぎでモーツァルトのもとに駆けつけた。ところが私がこの嬉しい報せを語り終えないうちに、従僕が皇帝陛下の命を記した書付けとともに転がり込んできた。ただちに総譜を携えて参上せよ、と言う。モーツァルトが指示に従い進み出て、《フィガロ》から数曲を演奏すると、皇帝はえらくお気に召したのだった。演奏は陛下をこの上なく驚嘆させた、と言って過言ではない。陛下はほかの香り高い芸術同様、音楽にも極上の鑑識眼をお持ちだった。このオペラが世に出たのちの桁外れな成功、今日も続くこの作品の繁栄が、陛下の判断に狂いがなかったことを証明している」

 ダ・ポンテが原作の痛烈な身分制度批判の中からカットした場面を一つだけ挙げておく。第5幕(再終幕)でのフィガロの有名な独白の場面だ。

「伯爵さまよ、あんたには彼女はやりませんぞ・・・やりませんとも。あんたは自分が大貴族だから、生まれつきの才能もたっぷりあると思ってる!・・・爵位、財産、地位、いくつもの肩書き、全部揃って威張りくさってるんだ!でも、これだけのおいしい結果を手に入れるのに、あんたはいったい何をしたんです?生まれるという骨を折っただけ、後は何もしてないじゃないか。それに、男としても平々凡々!それに引き換え、このおれは、えい、糞っ!名もない大衆に埋もれて、ただ生きてゆくだけでも、この百年来スペイン全土を治める以上の博学ぶりと計算の妙を発揮しなくちゃならなかったんだ。」

 1786年5月1日、ついにオペラ《フィガロの結婚》は、ブルク劇場で初演の日を迎える。指揮者はモーツァルト。反応はどうだったのだろうか?

2016ウィーン国立歌劇場日本公演「フィガロの結婚」

ゲオルグ・デッカー「ヨーゼフ2世」アルベルティーナ

モーツァルトの肖像 1789年

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