「ナポレオンとトルストイ『戦争と平和』」6 アンドレイ公爵②
「ナポレオンとトルストイ『戦争と平和』」6 アンドレイ公爵②
アンドレイが求めていたものをトルストイは「ツーロン」に象徴させている。1805年11月13日、フランス軍はウィーンを占領し、更にドナウ川に架かる橋を無傷で手に入れた。その知らせを聞いたアンドレイの心境は次のように描かれる。
「この知らせはアンドレイ公爵にとって悲しいものではあったが、同時に楽しくもあった。ロシア軍が袋のねずみのような状態におちいったことを知ると同時に、彼の頭には、彼にこそロシア軍をこの状態から救出する使命があたえられているのだ、これこそが彼を並みいる士官たちの列から引出し、栄光への第一歩を開いてくれるツーロンなのだ、という考えが浮かんだ。」
さらに、戦闘が始まった場面でも「ツーロン」は登場する。
「戦闘が開始された。・・・『はじまったぞ!これが待望の戦争なのだ!』と血がはげしく胸におどりだしたのを感じながら、アンドレイ公爵は考えた。『だが、あれはどこにあるのだ?おれのツーロンはどこにどのようにあらわれるのだ?』」
「ツーロン」はフランスの南東部に位置する地中海に面する都市。ただの港町ではない。王政の時代から現代にいたるまでフランス海軍の基地がおかれている軍港で、現在もフランス第一の軍港であり地中海艦隊の司令部が置かれている。しかしトルストイがアンドレイの心境を表現するのに何度も登場させている「ツーロン」とは、1793年の「ツーロン包囲戦」の「ツーロン」のこと。フランス革命中の1793年、革命に反対する王党派はここを乗っ取り、町の支配をイギリス・スペイン海軍にゆだねる。当初、フランス軍は無為な突入を繰り返し、籠っているだけの敵を相手に損害が増す一方であった。その状況を打開したのが無名の砲兵隊指揮官ナポレオン。高台を奪取したのち敵艦隊を砲撃するという活躍により、連合軍を蹴散らし撤退させた。これによりナポレオンは准将に昇進し、フランスを越えて西欧諸国に名を知られることになる。「ツーロン」は、ナポレオンの栄光への道の出発点だったのだ。その「ツーロン」をアンドレイは求めていた。アウステルリッツの戦いの前日でもこうだ。
「『明日は、もしかすると、おれにとっていっさいが終りになるかもしれぬ、このすべての思い出がもうなくなってしまうのだ、・・・そしてはじめて、ついに、おれのなしうることをすべて発揮するときが、おれにおとずれるのだ』すると彼の想像に、会戦、戦場に横たわる累々たる死屍、一点に集中された激戦、そして狼狽する指揮官たちの姿が浮かんできた。そしてあの幸福な瞬間、彼があれほど長く待望していたあのツーロンが、ついに彼のまえにあらわれる。」
そして当日も。
「アンドレイ公爵は、長年の宿願の機会をいよいよ目前にした人に見られるように、いらだたしい胸騒ぎと、同時に自制した沈着を感じていた。今日こそ彼のツーロンの日か、あるいはアルコラ橋の日であると、アンドレイ公爵はかたく確信していた。どのようにそれが来るのか、彼は知らなかったが、しかしそれが来ることを、彼は信じて疑わなかった。」
アンドレイにとっては自分の栄光、名誉が何よりも手に入れたかったもの、生きがいだったのだ。
「『だが、おれがそれを望んだとしても、名誉を望み、人々に知られることを望み、人々に愛されることを望んだとしても、それを望むことが、そのことだけを望むことが、そのことだけを生きがいにすることが、どうしていけないのだ!そうだ、それだけが生きがいなのだ!おれはそれをだれにも絶対に口外しないが、しかし、おお!もしおれが名誉以外、人々の愛以外、何ものも愛していないとしたら、それもしかたがないではないか。戦死、負傷、家族の死、何もおれは恐れぬ。多くの人々が―――父や、妹や、妻が、―――このもっともおれにとって大切な人々が、おれにとってどれほど貴重で、どれほど愛しい存在であろうと、名誉の瞬間のためなら、人々に対する勝利のためなら、知らない、これからも知ることのない人々の愛をかちえるためなら、こうした万人に愛されるためなら、おれは躊躇せずに彼らを犠牲にするだろう』」
BBC「戦争と平和」ピエール、ナターシャ、アンドレイ
BBC「戦争と平和」アンドレイ公爵
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エドゥアール・デタイユ「トゥーロンのナポレオン」
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