「ナポレオンとトルストイ『戦争と平和』」1 アウステルリッツの戦い①
以前から、文学作品を取り上げながら歴史を語りたいと思ってきた。「ナポレオンとユゴー『レ・ミゼラブル』」はすでに2回ほど実施した。反応も良かったが、何より自分自身の満足感が大きかった。歴史と文学の魅力を同時に味わえるからだろう。トルストイについては学生時代に『アンナ・カレーニナ』を読んで、その人間描写力に驚嘆した。ただ、これまでのロシア関係の講演は「ナポレオンvs皇帝アレクサンドル1世」、「日露戦争と20世紀初頭のロシア」ぐらいで、トルストイを扱ったことはなかった。しかし、ナポレオンのモスクワ遠征の描写を目にして、いずれ「ナポレオンとトルストイ『戦争と平和』」のテーマで講演したいと考えてきた。衝撃を受けたその部分を紹介する。ナポレオンは大陸封鎖令に従わぬロシアに対し60万の軍隊を率いて遠征するが、その出発点となった国境の川ニーメン川を渡る場面である。
「六月十二日、西ヨーロッパの軍勢がロシア国境を越えた。そして戦争が始まった。すなわち人間の理性と人間のすべての本性に反する事件が起こったのである。数百万の人々がたがいに数かぎりない悪逆、欺瞞、背信、窃盗、紙幣の偽造と行使、略奪、放火、虐殺など、世界中の裁判所の記録が百年かかっても集めきれないほどの犯罪を犯し合い、しかもこの時代に、それを犯した人々は、それを犯罪と思わなかったのである。」
ところで『戦争と平和』は1812年のナポレオンによるロシア遠征の時代だけを描いているのではなく、最初は1805年「アウステルリッツの戦い」の時代からだ。そしてナポレオン戦争の中でも、最も華々しい勝利と言われるこの戦いの開始直前のトルストイの描写がこれまた凄い。少し長いが引用する。
「午前九時になった。霧が一面の海となって低地をおおっていたが、幕僚の元帥たちを従えてナポレオンが立っていたシュラパニッツ村付近の高地は、もうすっかり明るくなっていた。頭上には澄み切った青空がひろがり、まるい巨大な太陽が、巨大な真っ赤な中空の浮標のように、乳色の霧の海原にゆれていた。
今日は彼にとって輝かしい日だった。戴冠一周年の記念日である。夜明けまえに、彼は数時間の軽い睡眠をとった、そして心身ともに爽快な活力にあふれて目をさまし、何も不可能なことはない、どんなことでもうまくいきそうな、幸福な気分で馬上の人となり、戦場に乗り進めたのだった。彼は霧のあいだから見える高地をにらみながら、身じろぎもせずに立っていた。そしてその冷ややかな顔には、幸福な恋する青年の顔に見られるような、幸運われにありというあの独特な自信たっぷりな表情があった。元帥たちは彼の後方に立っていたが、彼の注意をそらす勇気がなかった。彼はブラッツェン高地と、霧の海から浮かび出た太陽とを交互に見ていた。
太陽がすっかり霧の海から出て、野面と霧にまばゆいばかりの光輝を注ぎかけた時(彼は行動を起こすためにひたすらこの瞬間を待っていたかに見えた)、彼はその白い美しい手から手袋をはずして、その手袋で元帥たちに合図を送り、行動開始の命令を与えた。元帥たちはそれぞれ副官をしたがえて諸方面へ馬をとばしていった。そして数分後に、ロシア軍が左側の低地へ移動してますます手薄になってゆくブラッツェン高地へ向かって、フランス軍主力が急進撃を開始した」
ニーメン川を渡るナポレオン軍
ニコライ・ゲー「執筆中のトルストイ」トレチャコフ美術館
スランソワ・ジェラール「アウステルリッツの戦いのナポレオン」ヴェルサイユ宮殿
スランソワ・ジェラール「アウステルリッツの戦いのナポレオン」ヴェルサイユ宮殿 部分
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