鳴門・高松旅行4 「金刀比羅宮」

 広重「東海道五十三次之内 沼津 黄昏図」。この中に、描かれている巨大な天狗面を背負った白装束の男。「天狗面を背負うのが、金比羅参りの独特の習俗でした。」などという説明がされているが、この男が向かうのは上ったばかりの満月から見て東。金比羅参りであれば西に向かうはず。金比羅参りの帰りとは考えられないか。天狗面は奉納するために背負っているのだろうからちょっと考えにくい。では、この男は何者か?

『金毘羅信仰 民衆宗教史叢書』(守屋毅/編 雄山閣 1987 )にこんな説明がある。

「・・・金毘羅道者が各地を遍歴してこれらの話をひろめていったのである。天狗の面を背につけ白装束にあるいは鼠色の装束に身をかためて歩いていたのである。天狗の面などをつけているからにはたんなる信仰の徒ではない。この大権現の信仰を伝播するための職業的宗教人であったのである。こうして信仰がひろがりを見せてゆくにつれて流行神としての性格はますます強まって、やがては全国各地に金毘羅講が生まれるようになってきた。」

全国各地を遍歴して、金毘羅大権現を広めた「金毘羅道者(金毘羅行人)」という行者のようで、彼らによって全国各地には金毘羅講という講組織(民間の互助組織)ができ、江戸時代中期ごろには金毘羅参りが盛んになったのだ。広重の絵の天狗面を背負った男は金比羅大権現の布教のために江戸に向かっているのだろう。今回高松に行くにあたって、栗林公園とともに金刀比羅宮にも足を延ばしたかったのは、金刀比羅宮と天狗面の関係を知りたかったから。しかし予定していた10月25日は激しい雨。ホテルのフロントでも、雨の日の金比羅参りは石段を登るのが大変、と聞いていたので躊躇したが天気予報は雨のち曇りとなっていたので、ホテル近くの瓦町駅から琴平電鉄で出かけた。雨は上がったが、道路は濡れている。用心のため行きは大門までタクシー。参道口から御本宮までは785段、奥社までは1,368段の石段あるが、大門までの365段をカット。それでも残り420段。御本宮に着く頃にはかなり汗をかいていた。しかし、どこにも天狗の姿は見当たらない。どうも、現在は通行止めになっている「奥社(厳魂神社)」までいかないと出会えないようだ。奥社では、天狗とカラス天狗の彫物も見られ、またそこでしか入手できないお守りにも天狗が描かれているようだ。それにしても、天狗と金刀比羅宮の関係はよくわからない。戦国時代に荒廃していた金毘羅さんを再建した第4代の別当(寺の事務を統括する僧)であり修験僧でもあった金剛坊宥盛と関係しているようだ。この金剛坊宥盛が金毘羅大権現への信仰を広め、寺を整備して金毘羅さんの再興を果たしたが、彼は亡くなる直前に金毘羅さんを護るために天狗になったという伝説がある。つまり金毘羅さんは天狗が再建した寺社というわけだ。

 予想はしていたが、ここの階段はきつい。帰りは785段を歩いてくだったが足腰が弱くてはとても下りでも厳しいものがある。だからこそ、昔ながらの風情が残っているのだろうけど。では、自力で上り下りできないけど、どうしても金比羅参りをしたい人はどうすればいいか?1段目から365段目(大門)まで「石段かご」が利用できる(往復:6800円 上り:5300円 下り:3200円)。映画「男はつらいよ 寅次郎の縁談」(マドンナ葉子:松坂慶子)でも、寅さんとマドンナ葉子が石段途中の大門から登り口まで「石段かご」に乗って下りる場面がある。

 寅 「籠屋さん」           籠屋さん「はいよ」

 寅 「これはどこまで行けるんだい?」 籠屋さん「あの石段の下までですよ」

 寅 「具合がいいからよ いっそのこと高松までやってくれねえか。なあ、葉子ちゃん」

 葉子「せやねえ~~、ご祝儀弾むから」 

 映画の中の駕籠かきとは違って、今回実際に目にしたのは二人とも高齢者だった。ここも人手不足は深刻なんだろう。

映画「男はつらいよ 寅次郎の縁談」金刀比羅宮 石段かご

映画「男はつらいよ 寅次郎の縁談」マドンナ:松坂慶子

広重「東海道五十三次之内 沼津 黄昏図」

平林春一「こんぴら詣図(天狗背負図)」

 ここにも「金毘羅道者(金毘羅行人)」が描かれている

金刀比羅宮・旭社(あさひのやしろ)

本殿より少し下にあるが、江戸時代、清水の次郎長の代参で訪れた森の石松は、旭社のあまりの立派さ、美しさに本殿と思い込み参拝し帰ってしまったという話もある。

本宮拝殿

天狗とカラス天狗の彫物  「奥社(厳魂神社)」

金刀比羅宮 | 天狗御守

「天狗面」金刀比羅宮

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