江戸の名所「品川」⑥品川の客1 「増上寺」

 品川の客を詠んだ有名な川柳がある。

              「品川の客にんべんのあるとなし」

 「にんべんのある」のが「侍」。「にんべんなし」は「寺」つまり僧侶。僧侶と言っても、より具体的には芝の増上寺。『婦美車紫鹿子(ふみぐるまむらさきかのこ)』(浮世偏歴斎道郎苦先生 うきよへんれきさいどうらくせんせい)にこんな会話がある。

「ハテナ、高輪の内には大分いゝ寺があるて。とかく品川の客は坊主が多イそうだてなァ」

「ハイ、なる程坊主が五分、武家方が三分、町人は二分ほかござりませぬ」

 品川妓楼を描いた浮世絵を見ていて、僧侶の姿を目にすることはほとんどない(まあ絵の材料としては、さえないだろうが)から、そこまで多かったのかどうかは断言しかねる。なにしろ女犯(戒律により女性との性行為を絶たねばならない仏教の出家者が、戒律を破り女性と性的関係を持つこと)を犯した僧に対しては厳しい処罰が待っていたのだから。『御定書百箇条』では、江戸の住職は遠島(島流し)、住職ではない僧侶は日本橋に三日間晒されたうえ、本寺に引き渡される(そのうえで寺法に従って、破門・追放)。それでも医者に変装(医者の多くは僧侶同様剃髪しているものが多かったから)して吉原、岡場所、宿場の女郎屋に僧侶は盛んに出入りしたようだ。船宿や茶屋を「中宿」(遊びの中継場所)にして、そこで墨染めの衣から羽織に着替えた。

             「中宿へ出家はいると医者が出る」

 滝沢(曲亭)馬琴(1767〜1848)が編集した随筆集『兎園小説』(馬琴の呼びかけにより、当時の文人が集まって、身辺で見聞きした珍談・奇談を毎月一回披露し合う「兎園会」が開かれたが、この兎園会で披露された記事を集めた書物。だから、記事はノンフィクション)に「北里烈女」(北里=吉原)という話が載っている。主人公は芝増上寺の美貌の所化(見習い僧)霊瞬。彼は親しい友人に誘われ「一度だけなら」と身分を隠して吉原に行き、玉屋の琴柱という遊女を買う。琴柱から「これからもたびたび来ておくんなし」と言われた霊瞬は、一度だけのつもりが、その後もたびたび吉原に出かけた。琴柱と親しくなった霊瞬は、自分の身の上を話す。そして、学問と修業を積めば大僧正になれるかもしれない、ただし要所に金を贈らないとなかなか引き立ててもらえない、などと話す。それを聞いた琴柱。次に霊瞬が訪れた時ひと包みの金を渡してこう言う。

「この金を元にして、出世してくださりませ。今宵をかぎりに、もう、ここに来てはなりません。今後、女に近づくこともおやめなされ。わたくしは近いうちにこの世を去りますが、あの世からおまえさんを守ります」

 彼女の懸命なすすめにほだされ金を受け取るが、それからいくほども経たないうちに琴柱は自らの命を絶ってしまう。霊瞬は彼女に法名をつけて毎日回向して過ごしていたが、1年ばかりの時が過ぎ、またもや友人に誘われて品川の女郎屋に遊びに行った。いざ情交に及ぼうとした時のことだ。あの琴柱が生前と同じ姿で現れ「誓った事をお忘れになったのですか」と叱りつける。霊瞬は恐ろしくなって逃げ帰った。年月を経てまたもや遊女の所に行ったら同じように琴柱の幽霊が出て諌める。ついに霊瞬も決意を固め、その後は女に近づくこともなくひたすら精進。そして、晩年ついに京都知恩院(京都市東山、浄土宗の総本山)の大僧正にまで昇りつめたのである。

 大僧正にまでなった霊瞬にしてこうなのだから、多くの修行僧たちが欲望に負けて女郎屋に足しげく通ったのも当然だろう。そもそも女性との関係を一切絶つなどという戒律(不婬戒)自体が人間の本姓に反して不自然だと思うのだが。カトリックの聖職者についてしばしば問題になる性的虐待、同性愛も同じ問題に由来していると思う。

 それにしても浄土宗の七大本山の一つで、上野の寛永寺と並ぶ徳川家の菩堤寺として知られ、6人の将軍が埋葬されている増上寺。最盛期には1万石の知行と3000人を超える僧侶を擁し、同じ浄土宗の総本山である知恩院を凌ぐ権勢をふるったとも言われる寺の修業僧が品川妓楼の最大の顧客だったとは。確かに吉原と違って、変装して出かける必要はなかった。旅籠なのだから、宿泊するのは何ら不自然ではなかったのだから。それにしてもこの川柳は。

              「品川の儲け七分は芝の金」


広重「東都名所 芝増上寺山内ノ図」

広重「東都名所 芝神明増上寺全図」


広重「名所江戸百景 芝神明増上寺」


国貞「江戸名所百人美女 品川歩行新宿」

衝立の向こうにいる客の多くが僧侶だったとは


僧侶の晒刑

広重「名所江戸百景 増上寺塔赤羽根」  

かつて存在した五重塔の脇を流れるのが新堀川(渋谷川)、架かっているのは赤羽橋

川は右上から左下に向かって流れている


『江戸切絵図』愛宕下之図

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