ヨーロッパの夏空の下13 ウィーン美術史美術館⑤カラヴァッジョルーカス・クラナッハ「ヘロデの饗宴」

 《生首が載せられたお盆を持った妖艶な女性》。こんな光景、画家に限らず芸術家の創作意欲をかき立てること間違いなし。新約聖書の中の洗礼者ヨハネにまつわる話。

 キリスト教において「ヨハネ」と言うと、「ヨハネによる福音書」や「黙示録」を書き、イエスが最も愛したとされる12使徒のひとりヨハネ(福音書記者ヨハネ)とイエスより半年早く生まれイエスに先立って荒野で悔い改めを叫び、ヨルダン川のほとりで人々(その中にはイエスも含まれる)に洗礼をほどこしたヨハネ(洗礼者ヨハネ、バプテスマのヨハネ)がいるが、斬首された生首の主は洗礼者ヨハネ。

 ことの発端はヨハネがヘロデのヘロデヤとの結婚を非難したこと。このヘロデは、イエスが幼かった頃、ベツレヘムの子どもを虐殺したヘロデ(ヘロデ大王)息子のヘロデ・アンテパス。かつてヘロデ・アンテパスは弟のピリポの妻ヘロデヤと密通し、自分の妻を追い出してしまう。それゆえ、ヨハネから「あの女と結婚することは律法で許されていない」と言われたため、ヨハネを縛り、牢に入れた。ヘロデはヨハネを殺したかったが、民衆を恐れた。彼らはヨハネを預言者(「予言者」ではない)と思っていたから。では、どのようにしてヨハネは斬首されるに至ったのか?ヘロデの誕生日に開かれた饗宴でのできごとである。絵画では『ヘロデの饗宴』というタイトルがつけられる。聖書の記述はこうだ(「マタイによる福音書」14章6節~11節)

「ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。」

 ここで「へロディアの娘」とされているのが「サロメ」。絵画はもちろんオスカー・ワイルドの戯曲を始め様々な分野の芸術作品に取り上げられてきたが、聖書には「サロメ」という名前は登場しない。

 (ルーベンス「ヘロデの饗宴」スコットランド国立美術館)

(ルーカス・クラーナハ「ヘロデの饗宴」ウィーン美術史美術館)

(アンドレア・ソラーリオ「ヨハネの首と一緒のサロメ」ウィーン美術史美術館)

(ティツィアーノ「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」ドリア・パンフィリ美術館)

(カラヴァッジョ「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」ロンドン・ナショナルギャラリー)

(フランツ・フォン・シュトゥック「サロメ」ミュンヘン レンバッハハウス美術館)

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