「ウィーン」7 プリンツ・オイゲンと「宮廷ユダヤ」
第二次ウィーン包囲の解放後、対オスマンの戦いの舞台はハンガリーに移る。そして、戦争式の主役もポーランド王ソビエスキからプリンツ・オイゲンに移る。ウィーンの「英雄広場」に巨大な騎馬像があるプリンツ・オイゲンはオーストリアの歴史上もっとも名の知れた将軍。しかし、かれはオーストリア出身ではない。フランスのサヴォアの貴族出身。フランス王ルイ14世の軍隊に加わることを拒否された(オイゲン公は、母親オランプ・マンシーニがルイ14世の愛人であったことから、その子供ではないかと噂された。生まれつき小柄で容貌も醜かったため、ルイ14世はオイゲン公を嫌ったとされる)ため、1683年に、20歳の若さで皇帝レオポルト1世のウィーン解放軍に加わった。その後ハンガリーでブダの解放に参加し、その指導力を評価され、1693年には元帥となり、1697年には対オスマン戦争の総指揮官に任命された。結局プリンツ・オイゲンはレオポルト1世、ヨーゼフ1世、カール6世(マリア・テレジアの父)の三代の皇帝に仕え、その功績によりウィーンに宮殿と郊外にベルヴェデーレ宮殿を建てることを許された。彼はこの建築にバロック様式を採用し、ウィーンのバロック時代を先導した。
このベルヴェデーレ宮殿。1714年から1716年にかけて下宮が、1720年から1723年にかけて上宮がジェノヴァ生まれの宮廷建築家ヒルデブラントによって建設された。しかし、オプリンツ・オイゲンは相続人としての子を遺さなかったため、その死後の1752年にハプスブルク家のマリア・テレジアに売却された。のちにサラエボで暗殺されたフェルディナント皇太子の宮殿となり、また作曲家ブルックナーはこの一隅を与えられそこで亡くなっている。現在はギャラリーとして、中世から現代にいたるオーストリアの美術品を展示。オーストリアで2番目に大きな美術館になっている。特に迎賓館として使われていた上宮には世界最大のグスタフ・クリムトのコレクションがあり、その中には有名な『接吻』や『ユーディト』が含まれ、さらに、シーレ、ココシュカの代表作などもある。
ベルヴェデーレ宮殿とならんでウィーン市街にあるバロック建築の傑作と言えばカールス教会。アルプスの北部で最も重要なバロック建築の傑作のひとつに数えられている。大きなドームと、ローマのトラヤヌス帝記念柱にヒントを得たという両端に2つ巨大な円柱を持つ教会で、1713年、神聖ローマ皇帝カール6世が、ペスト撲滅を祈願して、フィシャー・フォン・エルラッハ親子につくらせた。ウィーンの守護神、カール・ポロメウスがペストを鎮めるという物語のレリーフが刻まれ、内部の楕円形ドームの天井に、ロットマイヤーによって天井画が描かれ、大理石の柱や壁画の装飾の美しさが場内を引き立てている。カールス教会の前の池の中には、ヘンリー・ムーアのブロンズの抽象彫刻が設置されている。
ところで、あまり知られていないがプリンツ・オイゲンの対オスマン「解放戦争」を金融的財政的に支えた人物がいる。ユダヤ人のサミュエル・オッペンハイマー。ウィーンとユダヤ人の関係は単純ではない。1670年2月28日、皇帝レオポルト1世は勅令によってウィーンからユダヤ人を追放した。イエズス会と教会、商業市民の要求に押し切られたためだ。しかし、そのことは予想通り宮廷およびウィーン市の財政に多大な損失をもたらす。オスマン帝国との戦闘を継続するためには、帝国の軍備を強化せねばならず、宮廷、特にその財務期間はユダヤの再導入を主張。こうして、ユダヤ追放の3年後にウィーンに再びユダヤが導入された。ただし、このユダヤは、宮廷が個別のユダヤに対して、宮廷の財務役人として個人的に特別な許可を与えると限定され、「宮廷ユダヤ」という名称で呼ばれる。彼らは皇帝により期間も限定され、膨大な滞在金(保護金)を支払うことによって宮廷(皇帝)の保護下に置かれ、市内に居住し、帝国内を自由に通行することができた。この「宮廷ユダヤ」の中で、もっとも典型的で大規模な活動を行ったのがサミュエル・オッペンハイマーである。
彼は1674年にはオーストリア軍への物資供給責任者となり戦争仲買人の地位を獲得。1677年には皇帝軍の供給係となり、1683年のウィーン包囲の際にも、解放軍の食糧および武器供給を引き受けた。プリンツ・オイゲンの戦争にも財政的援助を与え、、ハプスブルクの支配権を超えた借款信用体制ならびに諸物資取引関係を築き上げた。そして「彼がウィーンにいることは国家の必要不可欠事項である」とまで言われた。もちろん、皇帝に影響力を持った枢機卿コロニッチュらのカトリック教会という強力な敵対者もいたが。バロックの時代は決して対抗宗教改革、つまりカトリック一色に塗りこめられた時代だったわけではないことを知らないと、歴史を単純化してしまうことになる。
(ベルヴェデーレ宮殿 上宮)
(ベルヴェデーレ宮殿 下宮)
(カールス教会)
(ジャコブ・シューペン「プリンツ・オイゲン公」アムステルダム国立美術館)
(「宮廷ユダヤ」サミュエル・オッペンハイマー)
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