「ウィーン」5 変人皇帝ルドルフ2世

 帝国やハプスブルク家支配下のオーストリアやウィーンに拡がっていたプロテスタントを抑え、帝国の宗派としてカトリック再興を主要な課題としていたフェルディナントも、対オスマン戦争を遂行するために帝国内のプロテスタント諸侯に譲歩せざるを得ず、「アウグスブルクの宗教和議」(1555年 「領主の信仰がその領国の信仰である」とするその定めは、オーストリアのプロテスタント貴族の勢力を強め、16世紀の中頃には、領民の4分の3がルター派になったと言われる)を受け入れざるを得なかった。

 フェルディナントはハプスブルクの領邦を三人の息子に分割統治させ、オーストリア・ドナウ諸領邦の支配権が与えられ、ボヘミア王国・ハンガリー王国の王位に就いたのは長男のマクシミリアン。彼は1562年ドイツ王にも選出され、1564年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世となった。マクシミリアンは1562年、政治的理由からカトリックに止まることを表明したが、プロテスタントに好意的で、1574年にはウィーンでのプロテスタントの公開礼拝を許容した。しかし、1576年に彼が死去すると、息子のルドルフ2世のもとで、対抗宗教改革が強化されていくこととなる。

 ルドルフ2世は幼少時をスペインの宮廷で過ごしたため、イエズス会の影響を受けて厳格なカトリック教徒となった。それは、ハプスブルク家の同族であるスペイン王フェリペ2世がプロテスタント寄りの姿勢に終始したマクシミリアン2世の影響を危惧したためだ。そして、父とは異なって徹底してプロテスタントを弾圧した。そのため国内情勢は一気に不安定化し、国内各地で反乱が勃発する。特にハンガリーの反発は凄まじく、ルドルフ2世は穏健政策として1606年、同地域における信教の自由を認めた。しかしもともと政治能力に欠け、国政を重臣に任せきっていたルドルフ2世の政策は不徹底だったため、1608年にハンガリーで大規模な反乱が勃発。ルドルフ2世はハンガリー王位を放棄し、弟のマティアスにその王位を譲る。翌1609年、ハンガリーのように反乱が起こることを恐れたルドルフ2世は、ボヘミアにおける信仰の自由を認めたが、これもハンガリーと同様に政策が不徹底だったため、ルドルフ2世の死後、神聖ローマ帝国内において三十年戦争が勃発する一因を作り上げてしまう。

 このように政治的には無能だったルドルフ2世だが芸術や学問を保護した結果、その下にはバルトロメウス・スプランヘル、ティントレット、ジュゼッペ・アルチンボルドといった多数の芸術家が集まり、帝都プラハ(ルドルフ2世は、1583年に首都をウィーンからプラハに移し、独自の芸術文化をその宮廷に花開かせた)は文化的に大いなる繁栄を遂げたのである。しかし、彼らに描かせた絵を見ても、歴代ハプスブルク家の中でも群を抜く変人だったことがうかがえる。特に、アルチンボルド(動植物や果物、料理、書籍、道具などを組み合わせて表現される肖像画で、一躍名を馳せたミラノ出身のマニエリスムの画家。フェルナンド1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世と3人の皇帝に仕えた)に描かせた「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世」(スウェーデン スクークロステシュ城 ちなみに、「ウェルトゥムヌス」とは、めぐる季節を司る植物の神で、変身能力に長けており、オウィディウスの『変身物語』に登場)。目玉の果てにいたるまで全て野菜・果物・花からなる上半身像。これは決して皇帝をからかった府警の肖像画などでは全然なく、本人から依頼され、本人を十全に満足させた、れっきとした宮廷肖像画なのである。  

 もうひとりはバルトロメウス・スプランヘル。今年の夏訪れる予定のウィーン美術史美術館に代表作が多数展示されているが、その神話画に登場する女性像の何とも官能的なこと。彼はローマでマニエリスムの様式を身に付け、ローマ教皇のための仕事に従事した後、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世に招かれてウィーンへ赴き、宮廷画家となる。後にルドルフ2世に従ってプラハに移り、以降は没するまで彼の地を本拠とした。彼が描く、体の線を曲げて男性キャラクターを誘惑する裸婦像は、神話を主題に採りながらも、その優美さと妖艶さで他の追随を許さない。スペイン宮廷でゴリゴリの厳格なカトリック教徒に育てられたルドルフ2世が、アルチンボルドに奇妙な肖像画を描かせ、またバルトロメウス・スプランヘルには官能的な神話画を多数描かせたことは何を意味しているのだろう。彼の中の心の渇きを思わずにはいられない。

 (ジョゼフ・ハインツ・ザ・エルダー「ルドルフ2世像」ウィーン美術史美術館) 部分

(ニコラス・ヌーシャルテル「マクシミリアン2世」ウィーン美術史美術館)

(アルチンボルド「ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世」スウェーデン スクークロステシュ城)

(バルトメウス・スプランヘル「ヘルマプロディトスとサルマキス」ウィーン美術史美術館)

(バルトメウス・スプランヘル「勝利のアテナ」ウィーン美術史美術館)

(バルトメウス・スプランヘル「ヴィーナスとアドニス」ウィーン美術史美術館)

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