「クレオパトラの神話」1 ギリシア神話の怪鳥セイレーン

 クレオパトラは歴史上の人物であるだけでなく、死後、ローマ時代から今日に至るまで、神話的人物の地位も獲得している。そして、プルタルコスも書いている(「彼女の美貌そのものはけっして比類なきものではなく、見る人をはっとさせるほどのものでもないと言われていた。しかし、付き合うと逃れがたい魅力があり、彼女の容姿には、会話の際の説得力や付き合う時の態度に表出する性格とあいまって、刺激的なものがあった。声も甘美であった」)ように、美しい以上にその非凡な個性によって、なんとも言えないほど官能をかき立てる人物像として描かれてきた。そして、カエサルの死後、カエサルの右腕として活躍してきたアントニウスを破滅させた原因を、古代の資料は例外なくクレオパトラの魅力であったとしている。彼女は魔女的な「セイレーン」として描かれた。このセイレーンとは何か? 

 セイレーンは、ギリシア神話に登場する上半身は美女、下半身は鳥の姿の怪鳥。海の岩場から美麗な歌を歌って船乗りたちを惑わして海にとび込ませその肉を喰らう、あるいは大きな翼で通りかかる船の上を舞い、船乗りの耳元で誘うように甘く優しい歌を歌ってセイレーンの島に引き寄せ殺してしまう、とされる。だから、歌が聞こえたら即座に逃げなければ危険である。「サイレン」の語源となった。 このセイレーンは、ホメロス『オデュッセイア』に登場する。トロヤ戦争で勝利したギリシアの英雄オデュッセウスは愛する妻が待つイタケを目指して航海する。しかし海神ポセイドンの息子ポリュペモスを退治したため、その航海は大嵐や荒波などによって妨害され続ける。魔女キルケの魅力に負け、1年間を彼女の島で過ごした後、オデュッセウスの一行は再びイタケを目指すが、途中セイレーンたちがいる近くを通らなければならない。オデュッセウスはキルケからこう予言されていた。

「そなたたちは、これからセイレーンの島に行くことになります。彼女たちは草原にすわり、すき通るような声で歌い、人の心を魅惑します。しかし、彼女たちの周りには白骨と腐りゆく人間の肉が山となっています。ここを通り抜けねばなりません。・・・セイレーンの声を聞こえぬように、部下の耳を蜜蝋でふさぐのです。そなたがセイレーンの声を聞きたいと思うのであれば、部下に命じて帆柱に立ったまま、手足をしっかり縛らせなさい。万が一、そなたが部下に綱を解いてくれと、頼んだり命じたりしても、さらに綱をふやして縛らせるのです」

 船員たちは耳を密蠟で塞ぐことにしたが、オデュッセウスはセイレーンの歌を聴いてみたいと、部下に自分をマストに縛り付け、絶対に外さないよう命じた。美しい音色を聞いたオデュッセウスは眉を動かして合図し、部下に束縛を解けと促したが、部下は命令通りそのままにしておく。

 こんな恐るべき誘因力を持ったセイレーンとクレオパトラは同一視されて描かれたのだ。プルタルコス(『アントニウス伝』)は「彼女はアントニウスを虜にし」、彼は「アレクサンドリアへ・・・連れて行かれ」、そこで女王クレオパトラが提供する悦楽に耽り、時間的感覚も義務感も失った、とする。またディオン・カッシオス(『ローマ史』)によると、こうだ。「キリキアで会ったクレオパトラに惚れ込み、もはや栄誉も気にしないでエジプト女の奴隷となり、恋のみに時間を費やした。このため、アントニウスは多くの常軌を逸した行為をし・・・ついに完全に身を滅ぼした。」しかも、カッシウスは、クレオパトラがアントニウスの周辺のものまで堕落させたとしている。

「彼(アントニウス)はクレオパトラの妖術で理性を失ってしまったと思われる。事実、彼女はアントニウスだけでなく、彼の周辺にいた他の有力なローマ人をも魅惑し、強烈な魅力で惹きつけたので、ローマも統治できると考えた」  ところで、ギリシア神話のセイレーンってなじみが薄いかもしれないが、結構身近なところで誰もがよく目にしている。コーヒーチェーン「スターバックス」のロゴ。そのに描かれている女性はセイレーンである。

(ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「ユリシーズとセイレーン」メルボルン ビクトリア国立美術館 )

(ハーバート・ジェイムズ・ドレイパー「ユリシーズとセイレーン」ハル ファレンズ・アート・ギャラリー)

(フレデリック・レイトン「漁夫とセイレーン」ブリストル市立博物館・美術館)

(スターバックスのロゴマーク)

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