「カエサルとクレオパトラ」3 クレオパトラの魅力

 世界三大美女の一人とされるクレオパトラ。美しさの代名詞のように言われるが、彼女の容姿を伝える全身像は残っていない。また彼女が生きた時代の資料を探しても、外見について具体的に書かれたものはひとつもない。胸像や貨幣に刻まれた肖像から、きわだった顔立ちをしていただろうことは想像できるが。 クレオパトラに手厳しかったローマの歴史家ディオン・カッシオス(150頃―235頃)も、その美しさについてはこう書いている。

「彼女は見るのも、聞くのも素晴らしく、・・・恋に抵抗する人や、情熱を忘れた老人の心まで征服することができた」

 しかし、プルタルコス(46頃―120頃)は手放しで彼女の美しさを誉めていない。

「彼女の美しさは、それだけで並はずれたものではなく、見る人に衝撃を与えるという質のものではなかった」

 そのプルタルコスもクレオパトラがはかりしれない魅力を持った女性であったことは否定せず「不思議なほど、人を惹きつける力があった」と書いている。その魅力の源泉はどこにあったのだろう?クレオパトラの魅力は、彼女が話をする時にもっとも発揮されたようだ。

「彼女と会話をするのは心地よく、その魅力からのがれることはできなかった。・・・打ちとけて話をする時、彼女が発揮する優雅な魅力は、生来の優しさとあいまって、言葉やしぐさに趣を添え、刺激的な誘惑に満ちていた」(プルタルコス)

 この点については、ディオン・カッシオスも「彼女が口を開くと、聞いている者は抵抗できなかった」と賛美している。

 まわりの人を惹きつける彼女の最大の武器は「声」だったようだ。

「その声の響きは聞いているだけで喜びであり、彼女の舌は名人の手にかかった弦楽器のように美しい音楽を奏でた」(プルタルコス)

 そういった声の魅力に加えて、洗練された豊かな知性と生き生きとした快活な態度がいっそう彼女を魅力的にした。もちろん、外見的な魅力も供えていた。アレクサンドリアの女性は髪型に気をつかい、化粧も上手だったといわれるが、クレオパトラも自分を美しく見せるために、宝石や香水を利用し、髪型や化粧も工夫した。それに純白の衣装を飾る金のブローチや真珠のネックレス。当時のアレクサンドリアは地中海貿易の中心地で、紀元前1世紀に人口は30万人に達した。そこには巨万の富が流れ込んだ。エジプトでは穀物が豊富に収穫できたため、余剰分は、アレクサンドリアを窓口として、ローマやコンスタンティノープルをはじめとする地中海の各都市へと輸出された。そのほか、原料、ぜいたく品、香水、宝石、有名なガラス製品など、地方の特産品も東へ西へと運ばれた。

 こんなアレクサンドリアで育ったエジプト王女クレオパトラは、見事な宝飾品だけでなく、高い知性、教養に裏付けられた生き生きとした会話で多くの男たちを魅了した。カエサルもその一人だった。しかし、カエサルはクレオパトラの魅力に惹かれ、味わいもしたが決して溺れることはなかった。クレオパトラの魅力を知れば知るほど、その彼女に溺れなかったカエサルの目的(帝政の実現)への集中力の凄さに感心させられる。

 (ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「クレオパトラ」)部分

(ギュスターヴ・モロー「クレオパトラ」)

(ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「クレオパトラ」)

0コメント

  • 1000 / 1000