「ヴェネツィア ″Una città unica al mondo″」 4 その魅力④

 ティツィアーノを頂点とするヴェネツィア派の絵画の特徴は何と言っても色彩。そしてその理由は、街中に張り巡らされた運河。降り注ぐ陽光は、直接降り注ぐ光だけでなく、運河の水に反射して返ってくる光もあるため、色彩が多様にならざるを得ないからだ。

 英国最大の風景画家のひとりであり、ロマン主義を代表する巨匠であるウィリアム・ターナー。その鮮やかな光の描き方から、”光の画家”と言及されることがあるが、イタリアの明るい陽光と色彩に魅せられた彼が特にヴェネツィアの街をこよなく愛し、何度もこの街を訪れ多くのスケッチを残しているは当然だろう。イタリア旅行後のターナーの作品は画面における大気と光の効果を追求することに主眼がおかれ、そのためにしばしば描かれている事物の形態はあいまいになりほとんど抽象に近づいている作品もある。

 光と色彩の絵画と言えば印象派。その中心的存在だったモネは、1908 年、画家として晩年にさしかかってから2 人目の妻アリスとともにヴェネツィアを訪れ10 週間を過ごす。ティツィアーノやヴェロネーゼといったヴェネツィア派の色彩豊かな作品に影響を受けつつ、製作活動に打ち込み、ドゥカーレ宮殿のゴシック様式のファサード、バロック様式のサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会、新古典様式のサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会やダリオ館、コンタリーニ館、ダムーラ館などの大運河沿いにある個人邸宅のファサードを作品にしている。1 日の始まりにサンマルコ広場で絵を描き、1 日の終わりに「グランド・ホテル・ブリタニア」のバルコニーでイーゼルに向かうことを日課にし、妻のアリスが「働き過ぎ」と心配するほど製作活動に熱中したという。

「私はますますヴェネツィアに夢中になっていきます・・・この独特の光と別れなければならない時が近づくにつれ、悲しさがつのります。ほんとうに美しいのです。・・・でも私はここで、自分が老人であるということをほとんど忘れ去り、じつに甘美な時間を過ごしました」(1908年12月7日付 ギュスターヴ・ジェフロワ宛の手紙)

 多くの画家たちを惹きつけたヴェネツィアの光と色彩の魅力。詩人ディエゴ・ヴァレーリが見事に表現している。(『感傷のヴェネツィア案内』)

「この生命を時々刻々、効果的に生み出しているのは、光の戯れである。空から来る光と、水に反射して増殖した光の戯れである。建築物は、人間の目の見ることのできる、もっとも豊かで、流動的で、変化しやすい光に対して、空虚な箇所と充実した箇所、休息場所と運動面、影になる洞窟と目の眩む鏡とを提供するだけである。この運河の道は、けっして同じであることがない。この眺望は静止することがない。太陽に薄雲が懸かるか、雲間から陽光が差すだけで、一瞬、物質的実在とまったく対照的な遠近・次元・関係ができあがる。正面や葉の色は、石屋や木々の色でなくて、むしろ季節や瞬間の色である。・・・大運河のあちらこちらの、二列の建物の表面の、平らだったり突起したり窪んだりしているあらゆる場所に、毎日、太陽と、雲と、黄昏の薄もやと、水とが、彩色の工夫を凝らしているのである。」

 徒歩で見る小運河(リオ)の魅力を述べた一節でもこう表現している。

「仮に、一日のある時刻に、四百の橋のどれかの上で一瞬立ち止まって、辺りを見回し、長い小運河が見えたとしよう。小運河は、全体が影になり、暗くて、すこし陰惨で、向こうの奥に開いた出口で、大気と水が満開の夾竹桃のように輝いている。しかし、数メートル、数分、数秒のちに、つぎの橋に登れば、別の小運河が見えるだろう。その小運河は、陽光を激しく受けて赤色になっている家の足下を巡っていて、全体が、炎のように見え、火花がほとばしり、酔い機嫌のけたたましい高笑となっている。一時間後に(夕方や夜になるのを待つことはない)、このふたつの橋に戻ってみると、そこを初めて通るような印象を受けるだろう。なぜなら、あらゆるものが先ほどとは異なってしまっているからだ。小運河の側壁への明暗の配分、大気の色合い、遠近感、それに、いわば、精神の状態が異なっているのである。」

(夜のカナル・グランデ)

(小運河)

(ターナー「税関舎とサン・ジョルジョ・マジョーレ」ロンドン ナショナル・ギャラリー)

(ターナー「溜め息橋」ロンドン テート・ギャラリー)

(ターナー「カンポ サント」トレド美術館)

(モネ「カナル グランデ」ボストン美術館)

(モネ「ドージェ宮殿」ブルックリン美術館)

(モネ「黄昏 ヴェニス」ブリジストン美術館)

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