「ヴェネツィア ″Una città unica al mondo″」 3 その魅力③

 1910年のロンドンとヴェネツィアを舞台にした映画『鳩の翼』を観た。主人公ケイトを演じるヘレナ・ボナム=カーターが圧倒的に魅力的な映画。彼女が演じるのは実に難しい役どころ。没落貴族の娘(父親は阿片窟に入り浸っている)で、後見人の伯母(この役を演じるシャーロット・ランプリングも素晴らしい)から自由になりたくて、恋人のバートン(貧しいジャーナリスト)を使って、余命いくばくもない不治の病におかされた友人で大富豪のミリーを欺いて遺産を手に入れようとする。しかし、バートンがミリーに心を奪われることに不安を覚えたケイトによってミリーは二人の企みを知り、深く傷つくが、二人に遺産を贈与する。映画のラストは、バートンが一人でヴェネツィアを再訪するシーン。結婚の条件にミリーとの思い出を忘れること、と言われたバートンがそれを拒否し、ケイトとの別れを決断したことがさらりと描かれる。

 この映画のタイトル「鳩の翼」はイギリスでは「無垢」を意味するらしい。そして映画ではアリソン・エリオット(映画『天使はこの森でバスを降りた』で天使の役)演じる孤児で大富豪のミリーがそのシンボル。映画の始めの方で、クリムトの「ダナエ」を観ている場面がある。ギリシア神話の中の、ダナエを見初めたゼウスが、金の雨となって子どもを産まないように父親(アルゴスの王)によって塔に閉じ込められた(産まれてくる子によって殺害されるという予言が成就しないように)ダナエに塔の窓から降り注ぎ、交わる場面だ。ティツィアーノをはじめ多くの画家によって描かれてきたが、クリムトの作品ではダナエの太もも間に黄金の精子と金貨が混じった状態で降り注いでいる上に、ダナエの頬は紅潮しエクスタシーの瞬間が表現されている。この絵を目にしたミリーが息苦しくなってその場を離れてしまうことでも、ミリーの無垢な性格があらわされていた。 このミリーが、自分の死期の近いことを知って旅先に選んだのがヴェネツィア。なぜかは語られない。

「内心を打ち明ける女友達として、私はヴェネツィアを選んだ。・・・私は他のどこよりもヴェネツィアでこそ、よりよく自分の人生を考える。」(ポール・モラン『ヴェネツィア』)

 ヴェネツィアを愛した多くの芸術家たちが、この町を人格化させ、その人格化したヴェネツィアを愛人とした。映画『鳩の翼』の原作者ヘンリー・ジェイムズも随想『ヴェネツィア』(1882年)の中でこう述べている。

「ヴェネツィアは、毎日暮らしてみて、はじめて、十分な魅力を感じることができる。その精妙な影響力を、精神に浸透するように招き寄せることができるのである。この生き物は、神経質な女のように変化する。この町がわかったといえるのは、その美しさのあらゆる表情を知ったときである。この町は、天候と時刻次第で、気分が高揚しているときも、滅入っているときもある。血の気が失せていることも、血色がよいこともある。灰色のことも、薔薇色のこともある。冷たいことも、温かいこともある。生き生きしていることも、疲れていることもある。この町は、いつも興味深く、ほとんどいつも悲しげだ。しかし、折にふれて、千にもおよぶ優美さを見せ、いつでも、幸運な偶然が起こる。人は、そういう変化を無性に好むようになる。そういう変化を期待するようになり、それが生きていることの一部になる。人は、この町を、優しい気持ちで愛好するようになる。こうして次第に確立してくる人格的な交際には、深部に何か言い難いものがある。この場所は人格化し、人間となって、人の愛情を感じ取り、意識するかのようである。人は、この町を抱擁し、愛撫し、我がものにしたくなる。そして、ついには、穏やかな所有感が育ち、ここへの訪問は、果てしない情事となる。」 

 そして、ヴェネツィアが多様な表情を見せるのは「水上の迷宮都市」だからだろう。

(映画「鳩の翼」The wings of the dove)ケイト(左)とミリー(右)

(映画「鳩の翼」The wings of the dove)

(ティツィアーノ「ダナエ」ナポリ国立カポディモンテ美術館)

(クリムト「ダナエ」ウィーンのギャラリー・ヴュルトレ)

(ヴェネツィア ゴンドラ)

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