「生きるとは」5 森鴎外『青年』②

 ドイツで成立した、小説の1ジャンルに「教養小説」(Bildungsroman)がある。若者である主人公が、様々な体験を積み重ねながら成長し、自己形成し、人格を発展させていく過程を描く小説だ。ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの徒弟時代』(1795年)、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』(1821〜29年)をその源流とする。代表的な作品には、トマス・マン『トニオ・クレーゲル』(1903年)、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』(1904〜12年)、ジェームズ・ジョイス『若き日の芸術家の肖像』(1916年)、ヘルマン・ヘッセ『デミアン』(1919年)などがある。鴎外の『青年』もまぎれもない教養小説。したがって、この小説の中心テーマは「人生とは何か」「人間はいかに生くべきか」。作家を志して上京した主人公の青年小泉純一と、彼が啓発された新しい友人の医科大学生大村とのやりとりにこんな場面がある。ここで「新人」という言葉が使われているが、「しんじん」ではなく「新しい人」の意味。 

「一体新人というのは、どんな人を指して言うのでしょう・・・新しい人はつまり道徳や宗教の理想なんぞに捕われていない人なんでしょうか。それとも何か別の物を有している人なんでしょうか」

 「消極的新人と積極的新人と、どっちが本当の新人かということになりますね」

「ええ。まあ、そうです。その積極的新人というものがあるでしょうか」・・・・・・

「そうですねえ。有るか無いか知らないが、有る筈には相違ないでしょう。破壊してしまえば、又建設する。石を崩しては、又積むのでしょうよ、。・・・」・・・・

「哲学が幾度建設せられても、その度毎に破壊せられるように、新人も積極的になって、何ものかを建設したら、又その何物かに捕われるのではないでしょうか」

「捕われるのですとも。縄が新しくなると、当分当りどころが違うから縛(いましめ)を感ぜないのだろうと、僕は思っているのです」


「因習」に捕われない人が「新人」だが、その中には欲求のおもむくまま放縦に生きる「消極的新人」と自己が造った個人的道徳に従って生きる「積極的新人」がいる。そして本当の新人は「積極的新人」であり、その道徳は「利他的個人主義」でなくてはならないと鴎外は結論付けている。面白いと思うのは、利他的であることと個人主義を排他的な関係ととらえていない点。個人主義の伝統の弱い日本では、とかく個人主義は利己主義と同義に扱われる。本来、個人主義とは「自分の利益をまず大切に考える」ことであって「自分の利益しか大切に考えない」ことではない。人間は他者とのかかわりの中でしか十全な感情の満足を得られない存在だと思っている。もちろん現実社会には、自分に対して抑圧的、排他的な関係は存在するし、場合によっては生きるためにそう言った関係を切ったり、壊したり、そこから逃げることも必要になる。生きるエネルギーを蓄えるために、自分だけの世界に閉じこもることが必要な時もある。それでも、傷が癒え、エネルギーが蓄積されて来れば、やはり他者との関係の中で生きたいと願うのではないか。お互いの存在を大切にし合う関係、関係を結ぶ他者のために生きることが自分の喜びになり、自分のために生きることが他者の利益につながるような関係は、はてしなく困難な理想かもしれないが実現不可能ではないと思っている。

 ただし、『青年』の主張は、やや「幸福」の知的側面に比重を置きすぎていて、感情面がやや軽視されているように感じる。純一と大村の会話も観念的で理屈っぽ過ぎて素直に共感できない。純一自身、親の資産で仕事もせずに作家を目指している人間で、生活者の匂いがまるで感じられない。生活者はもっと、感情面を大切にして生きていると思う。だから次の石川啄木の文章に強い共感を覚える。20代後半に出会った文章だが、今も変わらず魅かれる。

「君、僕の現在かく生きている唯一の理由―――自分で拵えた理由は、人間はその一生のうちに最も大胆に、最も露骨に、最も広く、人生一切のすべてを味わって―――理知では知ることのできぬ人間の真の面目を実地に味わいつくして、そして死ぬ人間が『真の人間』—―英雄だ――、少なくとも僕の理想だという、苦しい苦しい覚悟ただ一つ。何事も知らなくてもよい。すべてを味わってみたい。刹那刹那を無為に過ごさずに、深く広く一切の人生の苦痛と陥落を味わいたい。」(岩崎正宛書簡)

 危険な要素もはらんだ言葉ではあるが魅かれてしまう。

(19歳の鴎外 東大医学部卒業の頃)後のイメージとは随分異なる

 (留学中の森鴎外 右端)ミュンヘン

0コメント

  • 1000 / 1000