「生きるとは」4 森鴎外『青年』①

 近代に入り個人は中世の封建的共同体から解放された。それは、封建的な諸関係のくびきかが断ち切られたという意味では解放であった。しかし、個々の孤立した個人に細分化された人間たちは「いかに生きるべきか?」という問いをもはやあらかじめ定められた規範的な答えを持たぬまま問い続けなければ、個人と社会の調和された関係を手に入れられないという「重荷」も背負うことになったのである。これまでの社会秩序や価値観を手本として生きていくことができなくなった人間は、自分自身の判断力と実践力とによって、人間と社会の理想像を選び取りながらその実現に奮闘しなければならなくなった。古い共同体は消滅したが、新しい共同体はまだ現実化されていない谷間の時代の人間が背負わざるを得ない苦悩と言えるだろう。

 しかし、近代化によって人間の幸福実現にとって不可欠な条件である人格的自立の可能性が生まれたこと(ごく一部のものに限られてはいたが)は、大きな歴史の進歩であろう。そしてこのことは、人間の発達段階について見るならば、子どもから大人への移行期としての青年期が出現し、子どもを大人へ転生させる儀式であった成年式は解体しはじめたということを意味する。しかし成年式の構造は近代に入ってからも地域社会とその生活文化に内在しつづけ、とどめをさしたのは高度経済成長である。これ以降ほとんどすべてのものに青年期が開かれることになった(青年期の大衆化)。そしてすべてのものに青年期を保障するために、高度成長期を通じて高校全員入学運動が進められ、中等教育が子ども全体に開放されていった。その中で、子どもは自立した人間へと発達していくものと考えられた。しかし実際はどうだろう。森鴎外は小説『青年』(明治43年【1910年】)のなかで次のように書いていたが、その状況は変わっただろうか。

「何の目的のために自己を解放するかが問題である。作る。制作する。神が万物を制作したように制作する。これが最初の考えであった。 しかしそれができない。それならどうしたらいいか。生きる。生活する。 答えは簡単である。しかしその内容は簡単どころではない。一体日本人は生きるということを知っているのだろうか。小学校の門を潜ってからというもの、一生懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先には生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にありつくと、そのその職業を成し遂げてしまおうとする。その先には生活があると思うのである。そしてその先には 生活はないのである。現在は過去と未来の間に劃した一線である。この線上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。」

 将来のために今を我慢し、自分のやりたいことを先延ばしにする。大学に入ったらやりたいことをやる、就職して金を稼ぐようになったら海外旅行をする、結婚したらマイホームを持つ、退職したら趣味に思う存分時間を費やす、と。経済力に比して日本人の幸福度が低いのもこのあたりに原因があるように思う。自立するとは単に経済的自立を意味しない。より大切なことは、自己と社会、外的世界とのあいだに真に実りある関係を築けるようになること。それができないと、こことは違う場所、今とは違う将来に期待をかけ、現在の目の前の生活を十分に味わうことができなくなってしまう。現在という時間が死んでしまえば、生活全体が灰色に覆われてしまうのは当たり前だ。日本人の多くは大人になっても、自己と外的世界とのあいだに真に実りある関係を築けていないように思えてならない。

 (森鴎外「青年」) 新潮文庫

(森鴎外)

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