ナポレオン3世・オスマンのパリ大改造と印象派1「印象派展」①

 美術展の入場者数の2018年のトップは、「レアンドロ・エルリッヒ展」(森美術館)の61万4411人。2017年は、「ミュシャ展」(国立新美術館)の65万7350人。この数値と比較すると、日本における印象派美術展の人気ぶりがよくわかる。

      2016年 「ルノワール展」  国立新美術館  67万人

      2015年 「モネ展」     東京都美術館  76万人

      2014年 「オルセー美術館展」国立新美術館  70万人

 もちろん、いずれもその年の入場者数第1位だった。その明るい色調、抒情性、わかりやすさ(宗教画のようにキリスト教についての知識はいらないし、抽象的すぎもしない)が心地よい印象を与えるのだろう。しかし、19世紀後半に印象派が登場した時の評価は散々なものだった。1874年に開かれた第1回印象派展に出品された作品について批評したルイ・ルロワ「印象派の画家たちの展覧会」(1874年4月25日シャリヴァリ紙)みてみよう。

 まず『印象派』の名前の由来にもなったモネの『印象、日の出』。ノルマンディー地方の港町ル・アーブルの日の出が描かれているが。

「『この絵はいったい何を描いたのかな。カタログを見たまえ』

 『《印象・日の出》とあります』 『印象!もちろんそうだろうと思ったよ。そうに違いないさ。全くわしが強い印象を受けたのだから。・・・・。その筆使いの何たる自由さ、何たる奔放さ。描き かけの壁紙でさえ、この海景に比べればずっと出来上がりすぎてるくらいだ』」

 同じくモネの『キャプシーヌ大通り』について。

「『絵の下の方でまるで涎のあとのように見えるあの無数の縦長の黒いものはいったい何を表してい

 るか教えていただけんかね』

 『あれは、歩いている人ですよ』と私は答えた。

 『それじゃあ、わしがキャプシーヌ大通りを散歩しているときはあれに似ているというの

 か・・・・。このいかさま野郎め。きみは要するにわしをからかっておるんじゃろう』」

 ルノワールの『踊り子』についても手厳しい。

「『何と残念なことだ』と彼はわたしに言った。

 『この画家は色に対してはある種の理解を持っていながら、デッサンをもっとしっかりすることが

 できないとは・・・・・。あの踊り子の脚は、スカートの薄布のようにぶわぶわじゃないか』」

 しかし、これらの批評はまだソフトなほう。第2回印象派展(1876年)についてアルベール・ヴォルフが『フィガロ』紙に載せた批評はよりストレート。

「『・・・野心の狂気に取り憑かれたこの不幸な連中が寄り集まって、自分たちの作品を展示してい

 るのだ。これを見て吹き出す人々もいる。しかし私は、暗澹たる思いであった。これら自称芸術家

 たちは、自ら急進派とか、印象派とか名のっている。彼らは、手当たり次第にカンヴァスと絵具と

 筆をとりあげ、めちゃくちゃに色を投げつけて、それらのすべてに署名するのだ・・・・。そこに

 は、完全な発狂状態にまで達した人間の虚栄心の恐ろしい姿が見られる・・・』」

 印象派の画家たちを、「野心の狂気に取り憑かれた不幸な連中」、「完全な発狂状態にまで達した人間」とまで酷評。なぜそこまで言われなければならなかったのか? 

(2016年 ルノワール展)

(2015年モネ展)

(2014年オルセー美術館展)

(モネ「印象、日の出」)

(モネ「 キャピュシーヌ大通り)

(ルノワール「踊り子」)

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