江戸の旅ばなし3 江戸の旅ブーム③「犬の伊勢参り」

 葛飾北斎の『富嶽三十六景』シリーズとともに、名勝(名所)を写して、浮世絵に名所絵(風景画)のジャンルを確立したとされる『東海道五十三次』。広重の作品のうち最もよく知られたものであり、もっともよく売れた浮世絵木版画でもあるが、これは「保永堂版」の『東海道五十三次』。これ以外にも、題名の書体から「行書版」、「隷書版」と呼ばれるシリーズが知られている。東海道43番目と44番目の宿場は四日市と石薬師。この間に、休息のための茶屋などが並ぶ間の宿(あいのしゅく)「日永の追分」(東海道と異世界道の分岐点。追分=道が二つに分かれるところ)があり、現在も伊勢神宮二ノ鳥居、石道標、常夜灯などが残っている。広重は隷書版『東海道五十三次』でここをとりあげたが、そこには「抜け参り」と思しき子どもの3人組とともに興味深いものが描かれている。鳥居の前で餌を待つ白犬。この犬、ただの犬ではない。「おかげ犬」とか「おかげ参り犬」と呼ばれた伊勢参りをする犬なのだ。「犬の伊勢詣り」とは一体どういうことか?

 何度となく繰り返されたお陰参りや抜け参り。締め付けられた日常から飛び出して、見知らぬところへ行くことがどんなに魅力的か、どんなに心が晴れ晴れするか、それは戻って来た者から熱く語られたことだろう。話を聞いたものは、是非次は自分の番と張り切ったことだろう。しかし、病気やその他様々な都合により、伊勢に行きたくてもどうしても行けないという人もいた。そういった人達は、自分の代理として他の人に伊勢にお参り行って来てもらう事で神宮に代参をしたが、そのうちに、人間ではなく自分の犬に代参を託す人も出てくるようになる。どうやって伊勢まで旅をして戻ってくることができたのか。

 まず、伊勢参りをしている犬である事がすぐ判別できるよう、犬には御幣や注連縄が付けられ(広重「伊勢参宮 宮川の渡し」には御幣をつけた犬が描かれている)、また、犬の首には道中のお金などがくくりつけられて送り出された。 伊勢へと通じる道々では、そうした犬が来ると皆で餌をあげたり泊めるなどして、その分のお金を少し貰ったりもしたが、逆に「これはとても立派な犬だ」と言ってお金を足してあげる人も多く、犬の首に掛けられている袋のお金が増えてくると、袋が重くて犬が可愛そうだと一枚の銀貨に両替してくれる人までいたということだ。『江戸府内絵本風俗往来』にもこんな記述がある(要約)。 

「大名が参勤交代の帰り道に東海道を上っていくと、犬が行列にまとわりつくことがある。最初は追い払っているが、お供の人の中に参宮の犬と気づく人がいて、小銭を入れた竹筒を用意して犬の首に結びつけてやる。すると、犬は行列を離れて伊勢めざして走り去る。夕方になると、街道筋の犬好きな人が家に入れて餌や水をやったりする。こうして伊勢へ着いて、神主さんに大神宮の御札を竹筒に入れてもらうと、来た道を引き返してもとの町へ戻る。犬がいなくなって心配していた人々は、参宮帰りの犬としてそれまで以上に可愛がった」

 ここでは、まるで犬が自分の意思で伊勢参りに出かけたかのように書かれている。いずれにせよ、抜け参りと言い、犬の伊勢詣りと言い、当時の日本には今では考えられないようなおおらかさ、心のゆとりが社会に存在していたようだ。

 (犬の伊勢参り  おかげ横丁「おかげ座」のジオラマ)

(広重「東海道 五十三次 四日市 日永村追分 参宮道」)隷書版『東海道五十三次』

(広重「伊勢参宮宮川の渡し」)部分  御幣をつけた犬

(『江戸府内絵本風俗往来』 伊勢参宮の犬)

(「おかげ犬ストラップ」)  

今ではこんな土産まで販売されている。他にも「おかげ犬サブレ」、「おかげ犬ぬいぐるみ」など。

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