ナポレオンをめぐる女たち⑩ ジョゼフィーヌ6
ナポレオンはロシア遠征に失敗し、ヨーロッパ連合軍との戦いにも敗れ、1814年4月、フォンテーヌブロー城で退位宣言をし、エルバ島へ配流された。この時、妻のマリー・ルイーズはどうしたか?父親のフランツ1世の命に従って、ローマ王を連れてオーストリアに戻ってしまう。ただし、この時点では落ち目のナポレオンを見捨てたというわけではない。 「この世で私ほどあなたを愛している人間はいない」と、オーストリアを発つ前にナポレオンに手紙を送っているが、その言葉に嘘はなかっただろう。
しかし、オーストリアはナポレオンとの関係を切りたかった。ローマ王を連れてナポレオンのもとに走り、退位したナポレオンの後をローマ王が継ぐことになるような事態は、なんとしても避けたかった。そのために、マリー・ルイーズの気持ちをナポレオンから引き離す手を打つ。彼女に愛人を与えたのだ。42歳の妻子持ちの将軍ナイペルク伯爵。その道の達人として知られ、女性の噂が絶えない男。マリー・ルイーズは彼との愛慾生活に溺れ、ナポレオンから気持ちがはっきり離れる。彼女用の部屋を用意して待つナポレオンが何度エルバ島に息子を連れてくるように何度手紙を出しても応じることはない。ナポレオンの方は最後までマリー・ルイーズに幻想を抱き続けたが。セント・ヘレナ島に流され、死の一週間前に書いた遺言書の中でもこんなことを書いている。
「いとも親愛なるわが妻、マリー・ルイーズ皇后には、私はいつでも賞賛の念を抱いてきた。最後の瞬間に至るまで、私は彼女にこの上もなくやさしい思いを抱きつづける。」
ここにナポレオンの弱点、没落の最大の要因と言っていい「リアリズムの欠如」が現れているように思う。では、ナポレオンがエルバ島に流された時、ジョゼフィーヌはどうしていたか?休戦後のパリで主役、スターになっていたのはロシア皇帝アレクサンドル。彼はジョゼフィーヌの住むマルメゾンに足繁く通う。ジョゼフィーヌは、ナポレオンに対するアレクサンドルの心証を少しでも良くしておこうと、近くに住む娘のオルタンスとともにもてなす。二人の優雅で穏やかなもてなしは、長い戦場の旅を経てきたアレクサンドルにとって、何よりの慰め。あるとき、アレクサンドルはこんな言葉をオルタンスに漏らす。
「わたしは、あなたの一家を心から憎みつつパリにやってきました。ところが、今ではあなたの家の方々と一緒にいるときだけ、わたしは生きることに安らぎを覚えるのです。」
ナポレオンにとってジョゼフィーヌがどのような存在だったかを、この告白は教えている。しかし、ナポレオンはエルバ島の彼に宛てて書かれた次のようなジョゼフィーヌの手紙も、無視してしまう。マリー・ルイーズの目を気にして。
「あなた様がおひとりになられ、不幸でいらっしゃるとき、あなた様をお慰めできるのは、このわたくし一人だけ・・・。お言葉をくださいませ、そうすれば、わたくしは起ちます・・・」
1814年の5月半ば、薄着のままアレクサンドルと遠出したジョゼフィーヌは風邪をひく。そして肺炎になり、5月29日息をひきとる。最期にこんな言葉を残して。
「ボナパルト・・・エルバ島・・・ローマ王」
(オーチャードソン「ベレロフォン号上のナポレオン」)
(フランソワ・ジェラール「皇后マリー・ルイーズ」)
(ポール・ドラロッシュ「退位したフォンテーヌブローのナポレオン」)
(グロ「皇后ジョゼフィーヌ」)
(ジロデ=トリオソン「オルタンス」)ナポレオンの弟と結婚し、後のナポレオン3世を産む
(フランソワ・ジェラール「アレクサンドル1世」)
0コメント