ナポレオンをめぐる女たち④ 母レティツィア4
エルバ島で暮らすナポレオンに、再び権力掌握の機会が訪れる。その頃フランスでは、ルイ18世(フランス革命で処刑されたルイ16世の弟でプロヴァンス伯)の復古王政に国民が不満を抱き始め、ナポレオン時代を懐かしむ声が高まっていた。ルイ18世の政治は、所有権の不可侵、法の下での平等、出版の自由などは認められ、貴族院と制限選挙制による下院からなる二院制議会が設けられるなど、立憲君主政の形態をとっていた。しかし、王の周囲で復活した貴族たちは、「ウルトラ」といわれる保守派が大勢を占め、さまざまな形で共和派や旧ナポレオン派に対する粛清を行なった。
ナポレオンはエルバ島を脱出してパリに向かう決断をする。それを知ったレティツィアは心臓が止まるほどのショックを受ける。すべてが楽しかった、平穏と安寧に包まれた生活が消滅しようとしている。しかし、誇り高く聡明なレティツィアはすぐに悟る。何ものもナポレオンを引き留めることはできず、自らの嘆きは息子の決断を妨げるだけだと。そして、こう言う。
「あなたの母親であることは忘れましょう!天は、あなたが剣を手に死ぬことしかお許しにならないのだろうから。毒薬をあおって死ぬことも、穏やかに天寿を全うすることも、天の思し召しではないのだろうから。数多の戦においてあなたを守り続けてくださった神様が、今一度お守りくださることをお願いしましょう!・・・そう行きなさい。あなたの運命のままに行きなさい。あなたはこんなつまらぬ島で死ぬようには生まれついていないのです」
その後ナポレオンは再び天下を取る(「百日天下」)も「ワーテルローの戦い」(1815年)にやぶれ、セント・ヘレナ島に流され1821年に死去。ナポレオンが去った後、ローマのリヌッチーニ宮殿に戻ったレティツィアは、息子の死後15年、87歳まで生きた。生前、彼女は次々に出る息子についての出版物を風刺的な小冊子に至るまで、侍女に朗読させた。そして、ナポレオンに対する批判など不都合な個所を侍女が読むのをためらうと、「なぜやめるの?わたしが真実に耳を傾けないとでも思うの」と叱った。そしてこう言い切った。
「ナポレオンはマリアさまの息子のイエズスさまとは違います。彼はレティツィアの息子だったにすぎません」
やがて半身不随となり、全盲となりながらも、息子の胸像の前に座し、喪の悲しみに浸り、哀悼の思いに耽る日々を送る。その後、フランスへの帰還が許されるも、同様の許可が子どもらに下されないからと、それを拒絶。どこまでも誇り高く、毅然とした姿勢を貫いた生涯だった。
(エルバ島から帰還したナポレオンを出迎える兵士たち)
(エルバ島を去るナポレオン)
(ロベール・ルフェーブル「ルイ18世」)
(シャルル・ド・ステューベン「ナポレオンの死」)
(ピエール・エドモン・マルタン「レティツィア」)
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