蕎麦の話①年越し蕎麦
その由来と意味は諸説あるようだが、蕎麦は細く長いことから延命・長寿を願ったものであるとする説が一般的。
「玉の緒(お)よ年越蕎麦の長かれと」内藤鳴雪
枕詞「玉の緒」は、「魂の緒」の意で、「長かれ」にかかる、つまり蕎麦のように命も長かれとの想いがうたわれている。
しかし、長寿への願いなら、蕎麦よりも切れにくいうどんのほうがふさわしいのではないか。なぜ、うどんではなく蕎麦なのか。蕎麦が切れやすいことから、一年間の苦労や借金を切り捨て翌年に持ち越さないよう願ったという説は、蕎麦の切れやすさに着眼しているが、長寿への願いも年越し蕎麦には込められていただろう。長くつながっていてしかも切れやすい蕎麦は、生きつつ同時に死に向かいつつある人間の生のイメージにうどんよりもはるかにマッチしているように思う。
「蕎麦うちて鬢髭白し年の暮れ」嵐雪
「鬢髭」(びんし)は耳際の髪の毛と口ひげのこと。蕎麦粉が舞い上がって白くなった様子をうたっているが、そこには年を取ったこと、すなわち死に向かって近づきつつあることへの感慨もいるだろう。
ところで、江戸時代は掛売りが多く、年二回の節季払いが普通だった。大晦日は一年中総勘定の日なので、夜を徹して金を取り立てるために奔走した。取り立てを喰う側からは、「債鬼」などと称され、その過酷な取り立てに対抗して、その家の主人は巧みに逃げ回ったり、納戸や長持ちに身を隠したり、攻防に虚々実々の駆け引きを行った。
「例年の通り後架で年を取り」(「後架」=便所に隠れて年越し)
「掛取りに内儀傷寒だと脅し」(「傷寒(しょうかん)」=腸チフスだと脅す)
年越しそばに絡めたこんな川柳もある。
「みそかそば残ったかけはのびるなり」(「みそかそば」=年越し蕎麦)
長い交渉でなんとか「かけ」=支払いを一部延期させるのに成功したが、「かけ」蕎麦はその間にすっかり伸びてしまったと詠んでいる。
ともあれ、江戸の人々にとって新年を迎える感慨は、今よりはるかに大きく深かったようだ。
( 国貞「神無月はつ雪のそうか」)「そうか(惣嫁、総嫁)」= 江戸の夜鷹に相当する大坂の最下級の遊女 。雪夜に夜蕎麦売りの屋台に集まるそうかたち が描かれている。
(大晦日の蕎麦 『どうれ百人一首』)
「嘉例にて くふ蕎麦きりも勘定も のびてうれしき大晦日かな」
狂歌作者は、紀持方(きのもちかた)←「気も持ち方」
(国貞「鬼あざみ清吉」)
(北斎「東海道五十三次絵尽 水口」)
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