江戸の名所「神田」⑥神田明神2平将門と滝夜叉姫

 将門は、天慶(てんぎょう)2年常陸,下野,上野の国府を制圧し,みずから新皇と称し関東の独立をはかったが,藤原秀郷が4千の大軍を率い平貞盛軍と協力し将門の本拠地岩井(茨城県)島広山(しまひろやま)にある石井営所を奇襲される。将門は流れ矢に当り敢え無く戦死。将門の首は平安京まで送られ都大路で晒されたが、将門の晒し首は更なる一戦を交えんと失われた胴体を求めて眼を剥き見開いて飛び去ったと伝えられ、落下したのが武蔵国豊嶋郡芝崎村と呼ばれた場所。現在、「将門首塚」(東京随一のパワースポットと言われる)のある大手町の地である。

 将門には、五月姫(さつきひめ)という娘がいた。父将門が討たれ、一族郎党は滅ぼされると、生き残った五月姫は父の無念を晴らさんと京へ上り、、貴船明神の社に丑三つ時に参るようになる。そして満願の二十一夜目に、五月姫は妖術を授けられ「滝夜叉姫」と名乗るようになる。そして、下総国へ戻り、相馬の城にて夜叉丸や蜘蛛丸ら手下を集め、朝廷転覆の反乱を起こした。朝廷は滝夜叉姫成敗の勅命を大宅中将光圀(通称太郎)と山城光成に下し、激闘の末に陰陽の術を持って滝夜叉姫を成敗。死の間際、滝夜叉姫は改心して平将門のもとに昇天したといわれる。

 有名な国芳の「相馬の古内裏」は、山東京伝の『善知鳥安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)』に題材を求め、かつて将門が築いた下総相馬の政庁の廃屋において、将兵を集めて父の仇を討とうと画策する瀧夜叉姫の野望を、源頼信の忠義の家臣大宅太郎光国が、うち砕こうとする場面を描いている。内裏の玉殿に朽ちて醜くぶら下がる御簾(みす)を分け、天井から舞台をのぞき込むかのように巨大な骸骨(数百の骸骨が登場する場面を、国芳は巨大な骸骨で表現した)が現れる。不気味さが漂う人体骨格の正確な描写は、将門の悲憤の霊を象徴するかのようである。

 (国芳「相馬の古内裏」)

詞書(ことばがき)に「相馬の古内裏に将門の姫君、瀧夜叉(たきやしゃ)、妖術を以て味方を集むる。大宅太郎光国(おおやたろうみつくに)、妖怪を試さんと爰(ここ)に来り、意に是を亡ぼす。」とある。

(月岡芳年「大日本名将鑑 平将門・平貞盛」)

(豊原国周「前太平記擬玉殿 平親王将門」)

(豊原国周「平将門島広山討死の場」)

(歌川芳虎,橋本貞秀,歌川国貞(「江戸の花名勝会 相馬の滝夜叉ひめ 尾上菊五郎」)

神田明神の由来を「将門の亡念、打来て、首が飛んで石をかりかり神田(かんだ)」と戯画化

(国貞「豊国揮毫奇術競 滝夜叉姫」)


(揚州周延「滝夜叉姫」)

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